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唱歌「浜辺の歌」の歌詞から学ぶことばの世界

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日本の唱歌の歌詞

 中学校の音楽教材として用いられ、「日本の歌百選」にも選ばれた唱歌 「浜辺の歌」は、ゆったりと歌い上げる綺麗なメロデイーの曲で、好きな歌の一つであったが 、中高生の頃はことばの意味を深く理解することもなく歌っていた。社会に出てから文章を書いたりするようになり、ことばを大切にする人たちと出会い、情緒ある日本のことばの美しさを次第に感ずるようになっていった。そして日本の歌に使われていることばを以前より深く理解しようと思うように変わっていった。

 日本の歌の歌詞には、文語体や古語などが使われていることも多く、美しい響きのことばが随所に使われている。日本の歌を次代に歌い継ぐことは、美しい日本語と消えつつある日本の情景、日本人の細やかな情緒を伝える上で大切なことのように思われる。

TVのコマーシャルを見て違和感

 先日テレビを見ていたらある葬儀場がBGとして浜辺の歌のメロデイーを流し、優しいことばで「・・・生前お世話になった人を偲び、・・・いつかは誰もが誰かの心の中で偲ばれるようになる・・・」というような語りかけをしていた。優しい口調であり、耳障りなわけではなかったが、何故かそのコマーシャルに違和感を抱いた。
 浜辺の歌の歌詞に「病みにし我はすでに癒えて・・・」というくだりがあったのを覚えていたからである。「浜辺の歌」の歌詞からして、浜辺近くで療養生活をしていた人が、朝夕浜辺を歩きながら昔の思い出や懐かしい人を偲びながら療養生活を送っていたが、病気が治り気持ちも明るく変化してきたことを表現している歌のようだと私なりに解釈していた。
 それ故、浜辺の歌は葬儀場のコマーシャルで使うのは、療養中の人に「早くこちらの世界においでなさい、偲ばれる立場に早くなりましょうよ」と言っているように思えないこともない。療養で回復した人をあちらの世界に手招きしたらまずいでしょう」そう思ったからコマーシャルを見て違和感を覚えたようである。

浜辺の歌

 以下、「浜辺の歌」について作詞者・作曲者、歌詞と言葉の意味などを記載した。

作詞者、作曲者

 長らく中学校の音楽教材として用いられ、「日本の歌百選」にも選ばれた歌 「浜辺の歌」は、 作詞「林古渓(こけい)」作曲「成田為三(ためぞう)」によるが、歌詞は難解で容易に解釈できない歌の一つでもある。 林古渓は林羅山に連なる漢学者であり、 成田為三は西条八十作詞の「かなりや」を作曲した人として知られている人である。

歌詞

あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ しのばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も

ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ しのばるる
寄する波よ かえす波よ
月の色も 星のかげも

はやちたちまち 波を吹き
赤裳(あかも)のすそぞ ぬれひぢし
病みし我は すでにいえて
浜の真砂(まさご) まなごいまは

言葉の意味

あした」

「あした」は明日ではなく「朝」の意味の古語で、翌朝と言う意味もあるがこの歌詞では朝方の意味で使われている。「ゆうべ」は前の日の晩ではなく「夕方」の意味で、歴史的仮名遣いでは「ゆふべ」である。一番の歌詞と二番の歌詞の初めの語句が対になっている。
 この朝と夕の対句表現では孔子の論語ー里仁第四8の真理追求者が真理追求にかける姿勢を説いた 、「朝(あした)に道を聞かば、夕( ゆうべ )に死すとも可なり」という有名な詞がある。

論語-里仁第四 8に孔子の詞

白文:「子曰、朝聞道、夕死可矣」
読み:「子(し)曰( いわく )、朝( あした )に道( みち )を聞( き )かば、夕( ゆうべ )に死( し )すとも可( か )なり」
意味:「朝人生の意義を悟ることが出来たならその日の夕に死んでも構わない」

補足
 人生の意義とは、自分はなぜ今世に生まれたか、死ぬまでに何をなすべきか、人としてどのように生きるのが神意にかなっているか等、自分のなすべきことを知ること。

さまよう」、歴史的仮名遣いでは 「さまよふ」

「さまよう」は古語では「さまよふ」と表記する。四段活用自動詞で活用は、未然形「さまよは・・」、連用形「さまよひ・・」、終止形「さまよふ」、連体形「さまよふ・・」、已然形「さまよへ・・」、命令形「さまよへ」。意味は「あてもなく歩き回る」、「さすらう」である。2番の歌詞で用いられている「もとおる」(古語では「もとほる」)ということばは「さまよう」の対語として用いられており意味は「あたりを回る」、「徘徊する」で、「さまよう」と類似の意味である。

しのば・るる

(四段活用他動詞)「しのぶ」の未然形+自発を表す助動詞「る」の連体形。前節の末尾の「ぞ」を受けて「る」の連体形「るる」で終わる係り結びの表現法を用いている。(「昔のことをしのばるる」)

偲ぶ(しのぶ)」は上代では「しのふ」と濁らない。四段活用の動詞で活用は 、未然形「偲ば・・」、連用形「偲び・・」、終止形「偲ぶ」、連体形「偲ぶ・・」、已然形「偲べ・・」、命令形「偲べ」。意味は過ぎ去ったり遠く離れたりしたことや人を懐かしく思うこと。

」は自発の助動詞で活用は、 未然形「れ」、連用形「れ」、終止形「る」、連体形「るる」、已然形「るれ」、命令形「れよ」。 「自発」とは、他からの影響を受けてでなく、心の底から気持ち・感情が自然とこみ上げてくること。

もとおれば

四段活用自動詞「もとおる」(古語では「もとほる」)の已然形+接続助詞「ば」。「もとほる」の活用は、 未然形「もとほら・・」、連用形「もとほり・・」、終止形「もとほる」、連体形「もとほる・・」、已然形「もとほれ・・」、命令形「もとほれ」。 意味は徘徊(はいかい)すること、辺りを歩いてうろうろと移動すること。

はやち

「はやち」は「疾風(はやち/はやて)」。「ち」は古語で風の意。「東風(こち)」も同様。 意味は急に激しく吹きおこる風のこと。

赤裳(あかも)

「赤裳(あかも)」は女性の赤い装束(しょうぞく)・着物。

ぬれ・ひぢ・し、古語で「ぬれ・ひつ・し 」

ら行下二段活用自動詞「ぬる」の連体形「ぬれ」+た行四段活用自動詞「漬(ひづ)」の連帯形+過去の助動詞「き」の連体形「し」。
連体止めとしたのは前節の「赤裳(あかも)のすそ」を受けた係り結びのためである。係り結びを伴わない連帯止めも中古の頃まで、詠嘆・余情を表すため和歌などに用いられていた。
ことば全体の意味は、ビショ濡れになること。

「ぬる」ら行下二段活用の自動詞。 活用は、 未然形「 濡れ・・」、連用形「濡れ・・」、終止形「濡る」、連体形「濡るる・・」、已然形「濡るれ・・」、命令形「濡れよ」。

ひつ」( )は 古語で、タ行四段活用 の自動詞。活用は、 未然形「 ひた・・」、連用形「 ひち・・」、終止形「 ひつ」、連体形「 ひつ・・」、已然形「 ひて・・」、命令形「 ひて」。 意味はひたる。水につかる。ぬれること

ひ・つ 【漬つ・沾つ】 (weblio古語辞典より引用)
自動詞タ行四段活用、活用{た/ち/つ/つ/て/て}
意味:ひたる。水につかる。ぬれる。
出典古今集 春上
「袖(そで)ひちてむすびし水の凍れるを春立つ今日の風やとくらむ」

真砂(まさご)

「真砂(まさご)」は、白く細かいサラサラとした砂。上代は「まなご」と言った。

まなご

「まなご」は「愛子」。意味は(いとしご)、愛する子供。

作曲者

成田 為三(なりた ためぞう/1893-1945)は、秋田県北秋田郡米内沢町(現在の北秋田市米内沢)の役場職員の息子として生まれる。

大正3年(1914年)に上野の東京音楽学校(現在の東京芸術大学)に入学し、ドイツから帰国したばかりの山田耕筰に教えを受けた。

大正6年(1917年)に同校を卒業。卒業後は九州の佐賀師範学校の義務教生をつとめたが、作曲活動を続けるため東京市の赤坂小学校の訓導となる。同時期に『赤い鳥』の主宰者鈴木三重吉と交流するようになり、同誌に多くの作品を発表した。

作詞者

林古渓は( はやしこけい/1875 – 1947年 )は、林羅山に連なる家系で、代々学者の家柄である。林家の次男として東京神田に生まれる。

幼少時代を神奈川県愛甲郡古沢村(現厚木市)で過ごし、古渓の筆名はこの古沢村から採ったという。哲学館(現東洋大学)に入学すると国漢を学んだ。30歳を過ぎてから東京音楽学校分教場や第一外国語学校(イタリア語)でも学んでいる。

『はまべ』(後の『浜辺の歌』)を『音楽』に掲載した理由は、牛山は後輩の成田為三に作曲の試作として古渓の『はまべ』の詞を勧めたという。辻堂東海岸を思い出し作詞したというのが一般的な説であるが、異論も多い。

「浜辺の歌」外部リンク

「浜辺の歌」のYoutubeを外部リンクしておきますので興味のある方は以下のURLをクリックしてお聴き下さい。

https://www.youtube.com/watch?v=TvBU0coI_f4

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