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何でも「頂きます」と言い、何でも「踏まえる」と言う昨今
最近のTV放送を見ると、アナウンサー、TVタレント、お笑い芸人に至るまで、使うべきでない時にまで言葉の 語尾に「頂きます」を付けているのが多々見受けられる。何にでも「頂きます」を付けるのは言葉を知らないか、そうでなければ見せかけの謙りであり、責任回避の姿勢の現れのようにも思われる。
また、一昔前、昭和40年代、主に政治家が「・・・を踏まえて・・・」という言葉を使っていたのは記憶にあるが、昨今のようにアナウンサー、TVタレント、お笑い芸人に至るまで、何でもかんでも「踏まえて」しまうようなことも無かったように記憶している。何でもかんでも「踏まえて」しまうのは他を尊重する面が弱いのか語彙が少ないかの何れかのように思われてならない。
一例を挙げれば、行列ができる人気商品を購入した人にTVアナウンサーがインタビューしたとき、購入した人の曰く「・・・を購入させて頂きました」と。
販売者は特別なものを特定の人に販売するわけでなく誰にでも販売しているのであり、購入者も本来自分が購入できない物を販売者に頼み込んで特別に販売してもらったわけでもあるまい。そうであれば「購入させて頂く」と言うのではなく、購入したいという自分の意志で購入したことを正しく表現すべく「購入しました」あるいは「購入できました」というべきである。相手から依頼されていない自分の意志行為を「させて頂きます」というのは本来おかしいのである。
また、「踏まえる」については「足で踏みつける」という意味があり、踏みつけてその上に立つところから転じて「・・・に立脚して」という意味で使われているようであるが、原意の「踏みつける」が転じて用いられるようになったのであれば、何でもかんでも踏まえるのはまずいのではないかと思われる。例えば「先人の功績を踏まえて・・・」とか「先人の偉業を踏まえて」などは、先人の功績や偉業を尊重していないようにも受け取られ、言葉としてふさわしくないように思われる。
頂きますについては、以前書いたことがあるので、今回は「踏まえる」という言葉について記載します。
「踏まえる」の意味
「踏まえる」という言葉の意味を、その成立や原意を、国語辞典と広辞苑で調べてみると以下の記載がある。
国語辞典の「踏まえる」
古田東朔監修の旺文社国語辞典で「踏まえる」を引けば、
他動詞下一段活用:未然形ー踏まえ・・、連用形ー踏まえ・・、終止形ー踏まえる、連体形ー踏まえる・・、仮定形ー踏まえれ・・、命令形ー踏まえよ
意味:①足で踏みつける、②ある考えや事実を拠り所にする
とある。
広辞苑の「踏まえる(踏まへる)」
新村出編の広辞苑で 「踏まえる」を引けば、
「踏まへる」(他動詞下一段活用 )→「踏まう」(「踏まふ」)(下二段活用)とある。それでさらに「踏まう」(「踏まふ」)を引けば、
他動詞下二段活用:未然形ー踏まえ(踏まへ)、連用形ー踏まえ(踏まへ) 、終止形ー踏まう(踏まふ)、連体形ー踏まうる(踏まふる)、仮定形ー踏まうれ(踏まふれ)、命令形ー踏まえよ(踏まへよ)
意味:①踏みつけて押さえる(事例:著聞集10「むずと踏まへけり」)、②指揮下に置く(事例:太平記27「紀伊の国の守護におはしけるを呼び奉りて石川の城を踏まへさせて」)、③考慮する(事例:甲陽軍鑑9「無分別の後先踏まへぬ人々」)、④拠り所とする(「この句は万葉集の歌を踏まえている」)
口語は「踏まえる」、文語は「踏まへる」
とある。
上記事例の成立年代については、 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia) によれば、
① 著聞集 : 中世の説話集。橘成季著。二十巻。建長六年(一二五四)成立。
② 太平記:小島法師などの手により増補改訂されてゆき、1370年ころまでには現在の40巻からなる太平記が成立したと考えられている。
③ 甲陽軍鑑:天正3年(1575年)5月から天正5年(1577年)にかけて成立
④は口語表記「踏まえ」であり、歴史的書物からの事例ではないと思われる。
広辞苑に記載されている①から④の意味と事例の年代から、「踏まふ」の原意は「足で踏みつけて押さえる」であり、100年ほど後の時代には「指揮下に置く」という原意に近い意味でも使われるようになり、さらに200年ほど経過した頃には原意から転じて「考慮する」という意味でも使われるようになったと推測できる。この推測の裏付けをするため古語辞典を調べてみると、
古語辞典の「踏まふ」
鈴木一雄、他3名編集の三省堂古語辞典によれば、古語の「踏まふ」は、
他動詞ハ行下二段活用: 未然形ー踏まへ、連用形ー踏まへ、終止形ー踏まふ、連体形ー踏まふる、仮定形ー踏まふれ、命令形ー踏まへよ
意味:①足で踏みつけて押さえる (事例:今昔19・30「弘済海に入りたるに、水腰の程にして、足に石のようなる物を踏まへられたり」) 、②支配下に置く (事例:太平記27「石川の城を踏まへさせて、越後守は急ぎ京都へぞ上りける」) 、③考えをめぐらす (事例:浮・世間胸算用「少しも違いなく、後先不踏まへて確かなる事ばかりにかかれば」)
とある。古語辞典の意味①と③とそれに関する事例の成立年代についてもフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia) によれば、
①今昔物語: 平安時代 ( 延暦13年(794年) – 文治元年(1185年) ) 末期に成立したと見られる説話集
③ 世間胸算用:井原西鶴作の浮世草子で、町人物の代表作の一つ。元禄5年(1692年)京の上村平左衛門、江戸の萬屋清兵衛、大坂の伊丹屋太郎右衛門によって刊行された。
以上の記述を総合すれば、「踏まえる」は古語「踏まふ」の現代口語表記であり、その元なる「踏まふ」の意味は時代とともに変化してきていることがわかる。
「踏まふ」の意味の変遷
以上見てきたように「踏まふ」の原意は「足で踏みつけて押さえる」ことであり」、平安末期(12世紀末)の「今昔物語」や13世紀なかばに成立した橘成季が著した説話集「著聞集」では原意の意味で用いられている。
それから100年ほど時代が過ぎた14世紀後半(1370年頃)に成立した太平記では、「踏まふ」は原意とそれほど変わらない「指揮下に置く、支配下に置く」という意味で用いられている。
さらにそれから200年ほど経過した16世紀後半(1575年頃)に成立した甲陽軍鑑や、17世紀末(1692年) に刊行された世間胸算用では原意からかなり離れ「考慮する」、「考えをめぐらす」という意味で用いられている。
補足:「踏まへる」の品詞分解
広辞苑によれば、「踏まへる」(他動詞下一段活用 )→「踏まふ」(下二段活用)とあることから、「踏まへる」は「踏まふ」をもとに考えればよい。
「踏まふ」は他動詞下二段活用の動詞であり、未然形ー踏まへ、連用形ー踏まへ、終止形ー踏まふ、連体形ー踏まふる、仮定形ー踏まふれ、命令形ー踏まへよと変化することから、「踏まへる」を品詞分解すれば、
「踏まふ」の連用形「踏まへ」+自発の助動詞「る」の終止形「る」と思われる。したがって「踏まへる」人は自分の意志で「踏まふ」ようである。
「踏まえる」についての結論
「踏まえる」(文語「踏まへる」)は、古語「踏まふ」が時代の変遷を経ながら現代に至った言葉であり、その原意は「踏まふ」の原意、すなわち「足で踏みつける」ことにあることが平安末期( 12世紀末 )の書物からわかる。その後、時代が経過し16世紀後半以降になると、原意から離れ「考慮する」、「考えをめぐらす」という意味で用いられるようになった。
「踏まへる」の原意が「足で踏みつける」ことにあること、更に「踏まへる」人は自分の意志で「踏まふ」ようであることからして、先人の偉業や功績は踏まへるよりもあやかり継続発展させて行きたいものである。
「踏まふ」はどこから
古語「踏まふ」が古典文献に現れるのが平安末期であることから、それ以前から使われている言葉から「踏まふ」が派生してきたことも考えられる。そこで「踏まふ」の原意である「足で踏みつける」を意味する言葉で平安時代以前から使われている言葉を調べてみると万葉時代から使われている「足で押さえる」という意味の「踏む」という言葉があることがわかった。
類義語「踏む」
鈴木一雄、他3名編集の三省堂古語辞典によれば、古語の「踏む」は、
他動詞マ行四段活用: 未然形ー踏ま、連用形ー踏み、終止形ー踏む、連体形ー踏む、仮定形ー踏め、命令形ー踏め
意味:①足で押さえる (事例:万葉14・3399「信濃路は今の墾り道刈りばねに足踏ましむな沓はけ我が背」、②歩く、行く(事例:蜻蛉・下「思ひきや天つ空なるあまぐもを袖してわくる山踏まむとは」)
とある。
「踏まふ」は「踏む」から派生した言葉
これより、「踏まふ」が最初に文献に現れる平安末期以前の万葉時代から「足で押さえる」と言う意味の「踏む」という言葉が存在していたことがわかる。この「踏む」の活用を用いて「踏まふ」を品詞分解すると、
四段動詞「踏む」の未然形「踏ま」+四段動詞の未然形につく(継続・反復の)助動詞「ふ」の終止形「ふ」という形で使われていたのが次第に変化し、下二段活用の一つの動詞「踏まふ」になったのではないかと思われる。さらに、「踏む」に継続・反復の助動詞「ふ」が付いたのであるから、当初は「踏む」よりも「踏まふ」ほうが踏みつける意味が強かったのではないかと推測される。
なお、蜻蛉日記の成立は平安中期の天延2年(974年)前後と推定され、この頃には「踏む」が 「歩く」、「行く」という意味でも使われていたことがわかる。
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