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江戸子守唄とは
幼児の頃、母親の膝下で遊び疲れたとき「ねんねんころりよ おころりよ~」と母親が歌ってくれたのがこの子守唄である。今世、生まれ落ちて初めて覚えた唄でもあり、日本人ならば誰でも知っている唄であろう。この子守唄が江戸子守唄と呼ばれていることは実はつい最近まで(以下の解説を見るまで)知らなかった。
江戸子守唄についての解説
日本の子守唄の中で、おそらく最もよく知られた曲は江戸子守唄だろう。「ねんねんころりよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねしな」というあの曲である。日本の子守唄の代表だ。この歌は江戸時代中期の頃に流行し、江戸後期に人の往来が激しくなると歌詞やメロディーを少しずつ変えて日本各地に伝播していった。だから全国に似た歌があるので、耳に残っている人も多いのだ。
子守唄や民謡の多くは労働歌だった。漁師や農民たちが働くときのリズムを取るために歌ってきた曲である。薬の行商や旅芸人、海上輸送の流れにのって子守唄も人と一緒に全国を旅したのかもしれない。当時を物語るように、いまでも全国各地に赤ちゃんをおんぶした土人形が残されている。つまり、それほどまでにこの唄は人々の心を打ったのだ。人びとを魅了し続けてきた『江戸子守唄』では何が歌われているのだろうか。
歌詞
ねんねんころりよ おころりよ
坊やはよい子だ ねんねしな
坊やのお守はどこへ行(い)た
あの山越えて里へ行(い)た
里の土産になにもろた
でんでん太鼓に笙(しょう)の笛
起き上がり小法師に豆太鼓
江戸子守唄は母親の歌?
子守唄には母親の歌う子守唄と子守奉公に来た人(守子)が歌う子守唄とふたつある。母親が子供へつぶやく歌とちがって、守子の歌う子守唄は悲しい曲が多い。自分の働きに来ているところから逃げ出したい、故郷に向かって訴えるような叫びが交じっているからだ。子守仕事に明け暮れる守子もまた母親が恋しい子供の年齢にすぎず、奉公先での待遇は人扱いとは言えない酷いものであったからである。守子歌の代表である五木の子守唄の歌詞を見ると、当時の守子の悲しく辛い心情が心にせまり目頭が熱くなるのを禁じえない。 https://marisuke.com/archives/11837
「江戸子守唄」は、守子が歌う悲哀や辛さを持った子守唄と異なり、母親が歌う数少ない子守唄である。
補足
当時、貧しい農家の子供は裕福な商家などへ奉公に出されることが多かった。女子なら子守や使い走りに。盆や正月に守子が里帰りしているあいだ、実の母親が赤ん坊の子守をすることになる。『江戸子守唄』の歌詞は子守奉公が戻ってくるのを待つ母親の立場から歌われたものであろう。
でんでん太鼓と笙の笛?
でんでん太鼓
「でんでん太鼓」は日本の民芸玩具のひとつ。棒状の持ち手がついた小さな太鼓で両側に紐がついている。先端には玉が結びつけてあって、持ち手を回転させると玉が太鼓の膜に当たり音を立てる。子供をあやすときに使われるから守子が奉公先へ持ち帰るのに理想的な土産だったと思われる。
笙の笛
「笙の笛」とは雅楽で用いられる管楽器だ。しかし、雅楽の楽器が里の土産であるはずはない。高価で一般人が入手するのすら困難なものであり、子供の土産に持ち帰られるものではない。
最近では見かけないが、昭和20年~30年代ころお祭りの屋台で竹製のおもちゃの笛を売っていたが、そのようなおもちゃの笛であったのではないかと思われる。


外部リンク
「江戸子守唄」のYoutubeをリンクしておきますので興味のある方は以下のURLをクリックしてお聴き下さい。
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