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間違った信仰の弊害
ある宗教を信じ信仰することは、その団体の教え(思想)や行動規範を心に受け入れることであり、それが正しいものでなかった場合、病原菌を体内に撒くようなものであります。また、霊感商法など人の不安恐怖心をあおり、詐欺まがいの行為をする団体もあり、心の病原菌だけでなく、生活基盤(財産)まで奪われることにもなりかねません。
それ故、その宗教団体や信仰団体が本物でない場合、信仰などしない方が良いわけです。
ところが多くの信仰団体は、世界の三大宗教(キリスト教・仏教・イスラム教)の教義を模倣して教義としているものが多く、言っていることの大方は正しいため、真偽を見極めることはそれほど容易なことではありません。とくに日本人は宗教の本質を深く考えることもなく、宗教といえば寺や神社はもちろん、新興宗教や信仰団体などを、その教義や活動を分析することもなく、十把一絡げにして宗教であると思っている人がほとんどです。
しかし、一旦関係を持った教団や信仰団体が本物でなかった場合、入信後の人生は不安恐怖心の無限地獄となることも多いようです。したがって、こと信仰に限っては、本物だと確信を持てる対象でなければしないことです。
(解説)
一度ある色に染まったものは、元の無地の状態にすることは難しい。これは、無地の画用紙に一度絵の具を垂らした場合、それを元の無地のように真っ白に戻すことが難しいように、心も一度染まると元のようにするのは至難であるのです。従って、本物の教えに出会うまでは信仰はしないほうがよいのです。
一度入った組織からの離脱は容易ではない
一度組織に入った場合、途中でそれが本物でないとわかったとしても、その組織を離脱することは次のような理由から大変な努力と決断を要するものです。
・本物でないと一度下した自己の判断に確信が持てず、離脱しようという気持ちがぐらつく場合がある。
・組織の仲間が引き止めにかかる。「罰が当たる」の・「病気になる」のなどと言うところもあれば、リンチまがいのことをした組織があったことも周知のことである。逆にこのようなことをするのは教えが本物でないことの証であるが、組織に入ってから気づくより、入る前に本物でないことを見極め、最初から入らないことである。悪い組織や人間との関係は一度であっても結ばない方がよい。
・入信後それまで良いものと思って心の支えとしてきたものを捨てるのに一大決心を要する。離脱しようという気持ちが生半可な場合、周囲に引き止められると離脱することは難しい。
・その組織を離脱するだけの気持ちになる本物の教えに出会う機会は千載一遇である。
間違った教えを見分けるには
以下に該当する組織に本物の教えは期待できません。
・組織のトップや指導者に浄らかさが感じられず、人間的行動に問題があると感じられる組織
・他宗を排斥する狭量な教義を持つ組織
・選民思想を持っている組織
・教えに普遍性が無く修行目標の中に利他精神や人間性の向上が掲げられていない組織
・行力を付けることを売り物にしている組織
・正しい信仰はしっかりした経済基盤があってこそ続けられます。信者の生活基盤を崩してまで信者の財産を取り上げる教えや組織、布施を強要する教えや組織は正しい教えではありません。(そのような団体の主目的は金銭集めであり、宗教法人は隠れ蓑であることを見抜くべきです)
・死後持っていけるのはその人の心の状態であり、寄進の多寡や戒名の違いによって死後の世界が変わるものではありません。「寄進をすれば来世が・・・、悪縁を祓うため寄進を」などというのは似非宗教と自ら認めているようなものです。
正しい宗教とは
信仰の目標と目的は何か?
信仰の目標は神であり、目的は神の御許(世界)に行くことです。
ことばを変えて言えば、神の御許に至る方法として信仰が必要であり、信仰の段階をいろいろな角度から説明しているのが宗教ともいうことが出来ます。
信仰とは神の御許に向かう修行
信仰とは、神の御許(不安恐怖のない安らいの世界)に向かう修行のことであり、神の指導に従っていく修行のことをいいます。
従って、世間で広く行われている、手を合わせ現世利益を願うだけで人間として向上するための修行を伴わないものは正しい信仰ではありません。
宗教とは神の御許に至る方法を示すもの
神の御許に至る方法をいろいろな角度から体系的に説明しているのが宗教です。
地球上に宗教と言えるものは少なく、キリスト教・回教・仏教の三大宗教は宗教と呼べますが、覚りの世界に導く教えの体系を持たないものは宗教と言えず、新興の宗教的組織や信仰団体は宗教と言えないものがほとんどのようです。
さらに、上記三大宗教が今の時代に宗教としての本質をとどめているかは大いに疑問です。
草創期からのある期間は、開祖の教えが正しく伝わりましたが、組織が大きくなるにつれ組織の運営維持に力を注ぐようになり、次第に本来のあるべき姿から変質して行くからです。
勿論、そのような組織に所属する人の中に、釈尊やキリストなど聖者が説かれた道を求めて、正しい修行に努めている人もいるものと思います。
しかし、他宗を邪教として排斥したり、宗派争いや魔女狩りをする行為、財物や名誉を求めるなど世俗と変わらない行為をする組織などは宗教としての存在意義を無くしており、過去の遺物と言った方が良いかも知れません。
宗教が本来なすべきこと
人々を不安恐怖心から解き放ち、安心の世界に導くこと。
宗教の本義(本来なすべき役割)は、人々を不安恐怖心から解き放ち、安心の世界(神の御許)に導くこと、すなわち人々を神の御許に道案内することです。
神の御許を目指す人生航路においては、羅針図(宗教が説いている方法)を基に修行を続けるのであるが、かって行ったことのない神の世界に行くためには、羅針図や舵の役割をして下さる神の御導きが必要となります。
また、途中で難破せぬよう航行を続けるには、船の特性(己の特性や自力)を知るとともに、船を補強し(修行を続け自力を高め)ながら進まねばなりません。
正しい宗教を求めること
目的地(神の御許、安らいの世界)にたどり着くには、正しい宗教を求め、神の御加護と御指導が得られるよう、正しい信仰(修行)をしていかねばなりません。
このようにして、目標を見失うことなく正しい信仰(修行)を続けていけば、神への接近をはかりながら、いつかは(来世、再来世になるかもわかりませんが)神の御許に到達することは間違いありません。ここでいう神とは四聖道以上の神を指しています。
本物の教えに出会う可能性を高める
本物の教えに出会う機会は千載一遇のことでありますが、次のような生活態度は本物に出会う可能性を高めるものと考えられます。
・本物に出会いたいという思いを強く持ち続けるとともに、その思いが神に届くよう自分自身の人間性を高める努力をして行く。
・本物に出会った時、それが本物と判断できるよう、心を汚さぬよう努めるとともに感性を磨いておく。
・謙虚さと自省の心を忘れず日常生活をする。利他精神も大切です。
・不浄なところへ出入りしたり、不浄な所で手を合わせたりしない。
・心身の清らかさと健康を維持するため食生活にも留意するのが望ましい。自我欲や自我感情は正しい判断の妨げとなることが多いので出来るだけ無くすようにすること。
本物を求め上記のような行いをしていれば、本物に出会ったときは心が共鳴し一瞬で「これだ」という心底からの感動を伴った感覚があると思います。
特定な教えや信仰団体に入らなくとも素朴な信仰心は神仏に通ずると言われています。例えばお百度参りの水垢離や、熊谷直実の馬に後ろ乗りして鎌倉へ帰った行為などは神仏に通ずるものであったとされています。
釈尊がどのようなことを説かれたかを知る上で、次の著書は一読の価値があると思います。宗教とは本来どういうものであるかを学ぶことが出来ます。
・中村 元著 「釈尊伝」 角川ソフィア文庫
・上代常信著 「仏陀の再現」 日本密教文化社
熊谷直実(くまがいなおざね)
平安末期から鎌倉時代初期、武蔵国熊谷郷(現・熊谷市)で活躍した武将。 一ノ谷の戦いで、平家の若武者、平敦盛(たいらのあつもり)を打ち取るが、息子ほどの年齢の若者の命を奪ったことによって戦の無情さや世の無常観を感じ、心に深い傷を負い、阿弥陀如来を信仰するようになります。阿弥陀如来が西方十万億土におわすと教えられた熊谷直実は、戦いの後、関東へ下向するとき、阿弥陀如来にお尻を向けてならぬと馬に後ろ向きに乗り帰ったという話が伝わっています。このような純な信仰心は神仏に届くとされています。
備考
最近TVを賑わしている統一教会( 世界平和統一家庭連合 )について、以下にWikipediaの一部を引用して記載します。詳細は下記URLを参照ください。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%B9%B3%E5%92%8C%E7%B5%B1%E4%B8%80%E5%AE%B6%E5%BA%AD%E9%80%A3%E5%90%88
統一教会は宗教学ではキリスト教系の新宗教とされ、文化庁が発行している宗教年鑑ではキリスト教系の単立に分類されている。また、欧米ではカルト宗教であるとされている。1994年5月に名称が世界平和統一家庭連合(英語: Family Federation for World Peace and Unification、略称: FFWPU)に変更され、日本では遅れて、2015年8月26日に宗教法人名を管轄している文化庁から改称を認証された。
開祖である文鮮明は北朝鮮出身であり、北朝鮮初代最高指導者金日成主席と親密関係であった。また、文鮮明は自由民主党の安倍晋三元総理大臣の祖父である岸信介と盟友であり、1950年代から日本の政界と協力していた。神田外語大学の民族主義運動の専門家であるジェフリー・J・ホールは、統一教会は岸信介の時代から日本の保守政治に関与してきたと指摘しており、国際勝共連合などと共に日本の反共産主義運動や右派運動といった、日本の右傾化の歴史に根深く関与してきたとしている。
統一教会の教典「原理講論」の韓国版には文鮮明教祖はイエス・キリストの再来と書かれている。日本統一教会の初代会長は、反共産主義政治団体国際勝共連合の日本における初代会長久保木修己である。
統一教会は、霊感商法を利用した高額な物販と献金に関する問題や、教団が結婚相手を決める合同結婚式、麻薬関連のマネーロンダリングと密輸、統一教会信徒の拉致監禁問題、反共産主義や朝鮮半島の統一の支持、反同性婚、反ロシア思想、岸信介政権時代からの自由民主党との関係などの政治との関わりなど、様々な問題で物議を醸している。2000年(平成12年)の広島高裁岡山支部での控訴審では、統一教会/統一協会の伝道の違法性を認定する全国初の判決が出た。これは日本において、宗教団体による勧誘・教化行為の違法性を認めた全国初の判決となった。
世界で活動する教団の運営資金の7割は日本での「霊感商法」から得られたものであり、日本は「金のなる木」、集金の場所として扱われた。全国霊感商法対策弁護士連絡会によると、判明している分だけで、1987年から2021年までの霊感商法による「被害件数」は3万4537件で「被害総額」は約1237億円に上り、物販には壺・印鑑・朝鮮人参濃縮液などが用いられ、その「被害」の高額さから社会問題化している。
日本国内での統一教会の信仰者はまず始めに全財産の額の把握を教会にされる。その後「地獄に行く、天国にいけない」と教えられ、莫大な献金を促される。全財産を捧げる事を教義としており、破産しても借金する方法を教える事で貢がせ続ける。日本統一教会は「先祖の罪業を辿って償わないと不幸になる」という論理を教義の一つとしており、人値の先祖辺り70万円以上の定額寄付を促される。最終的に信者の財産を絞りつくす為にも、定額寄付は信者の資産ごとにコミットメントされ、場合によって縄文時代にまで家系図を遡るように作成され恐怖を植え付けさせ続ける。
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