人の一生
人の一生を考えてみるに、幼児期に人としての生き方の基本(倫理観や価値観)を親や周囲環境から学んで身に着け、少年期から成人するまでに社会に出て生活するのに必要な知識を身につける。その後、社会人・経済人として社会・経済に貢献しながら、自分の子供も含め次代の者を育て、人としての役割を終えていく。
人の行動基準と判断
そのような一生の動きにおいて、ある人は親や周囲の人々あるいは所属する組織や団体の価値観を行動基準とし、ある人は法律を基準とし、またある人は宗教上の戒律を行動基準にしたりする。そして、人がある組織や団体に所属する場合、その組織や団体の戒律や価値観に従わざるをえなく、また法治国家に生活する以上、法律が人の行動を規制するのも避けられないことである。
そして、そのような行動基準を基に、日常起こってくる出来事を判断・対処して人生を送るのが多くの人の姿である。
信仰と宗教の特殊性
上記した組織のうち、宗教や信仰ということになると、それぞれが独自の世界観や価値観を持っており、互いが相容れなく、紛争や戦争を起こしてきたことは歴史の示すところである。
しかし、宗教とは神と人間との関係(人間のあり方)を説いたものであり、神への接近をはかる(不安恐怖心を離れ安心の世界に至る)実践方法が信仰であることを考えるとき、正しい宗教や信仰であるならば、他を排斥するものであってはならないし、紛争や戦争を招来するものであってはならないはずである。
正しい判断は無理のない自然なもの
人生の岐路においては判断を誤ることが命取りになるが、判断を誤らせるものは自我欲と自我感情であることがほとんどである。このことは、他人のことは迷わず判断できるが、自分や身内のことになると正しい判断ができないことに現れている。すなわち、冷静さを失わず、自他平等の精神で判断することができれば、誤った判断をすることはそれほど起こらないはずである。
また、自分の能力を過信せず、周囲に迷惑をかけないよう無理をしないことも正しい判断をする上で大切なことの一つである。
これが自然に逆らわない生き方であり、神の意に副った(自然の理に反しない)生き方である。 ここでいう神とは、一心十界の最上位の世界、仏界(仏や如来)に常住される存在をいい、神という表現に抵抗があるならば、大自然の摂理と言えるものである。
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