UA-91635752-2 G-JEWNT0VJRZ

椎葉移流(シーハイル)

安心な生活の知恵

Home » ことばの散歩道 » 「言霊(ことだま)の幸(さきは)ふ国」という意識が枕詞発生の原点?

「言霊(ことだま)の幸(さきは)ふ国」という意識が枕詞発生の原点?

calendar

reload

スポンサーリンク

ことだまのさきはふ国

 古代、日本には「言霊(ことだま)の幸(さきは)ふ国」という意識があり、ことばには霊が宿り不思議な力があると信じられていました。

 世界大百科事典によれば、「言霊(ことだま)とはことばに宿る霊の意で、古代の日本人は,ことばに霊が宿っており,その霊のもつ力がはたらいて,ことばにあらわすことは現実に実現すると考えていた」とあります。
 また、同辞典の「言霊(ことだま)」の項には、さらに、「おそらくすべての〈遊び〉と同様に,言語遊戯もその根本は呪術的,祭儀的,神事的であると思われる。単なる日常的コミュニケーションのための記号ではなく,言語そのものに〈言霊(ことだま)〉がそなわっているという古代的信仰は洋の東西を問わず遍在している」との補足説明がなされています。

 このような古代人の心情を念頭におけば、発生期に枕詞がどのように使われたか、そしてその後どのように変遷していったかがある程度理解できるのではないかと思われます。

 なお、これらの問題については専門家の領域であり、門外漢である記述者が考えを述べることではありませんので、以下専門家の考えの引用を主とし、専門家の述べていないところで想像を逞しくして少しばかり記述者の考えを述べております。

枕詞が用いられるようになった理由

 WEBサイト「やまとうた」「波流能由伎(はるのゆき)」は枕詞が用いられるようになった理由として次のような点を挙げています。

 枕詞が冠せられた語を調べると、(ちはやぶる)神、(ひさかたの)光、(あしひきの)山、(たらちねの)母、(くさまくら)旅など、古代人が大切なもの、聖なるもの、あるいは非日常的なものとして、尊んだり畏れたりした物事が多い。枕詞は地名に掛かるものも多いのですが、地名とは古人にとって地霊を呼び起こす畏るべきことばであった。聖なるものへの畏敬の心が、それをたやすく口に出すことを躊躇させ、対象に対してもってまわったような言い方をすることで、心理的負荷を払拭する必要があった。枕詞の発生理由はそのようなところにあったのではないか。

 すなわち、恐れ多いものをことばに出す時、対象に対する畏敬の念を表すために枕詞が用いられたのだはないかということです。

枕詞

 枕詞は特定のものを言うときその前に付けられる語句のこと。三省堂古語辞典には枕詞を以下のように説明しています。

 和歌の修辞法の一つ。ある語句を言い起こすためにその前に置かれる語。通常5音節以下からなり意味の連想性や音の類似性によって接する語句を導く。発生時には接する語句と固定的な関係にあって慣用された。

発生期の枕詞

 和歌が詠まれた古典でもっとも古いのが記紀(古事記、日本書紀)で、成立時期は古事記が西暦712年、日本書紀が西暦720年です。万葉集の成立はこれら記紀より遅く750年以降であると考えられています。したがって、発生期の枕詞に関しては、記紀歌謡を見ればその実態を知ることが出来ると考えられます。以下、山岡弘道氏の短歌論からいくつかを引用します。

記紀歌謡の枕詞

 記紀歌謡に出てきます枕詞の事例を見ると、地名、神の名、あるいは敬うべきもの等にかかる枕詞が主体で、こういう種類の枕詞が、最も初めに作られた枕詞だということになる。これから、「地名」、「神の名」、「その他の敬うべきもの」の対象に対して、いきなりそれをことばに出すのが憚られ、頭に枕詞を付けて用いるようになったと考えられる。 記紀歌謡に用いられた枕詞の具体例としては、次のものが挙げられています。

地名に掛るもの 

八雲立つ→出雲、みつみつし(御陵威し)→久米、神風の(かむかぜの)→伊勢、青土よし→奈良、秋津島→大和、つぎねふや(次嶺経や)→山城、ちはやぶる(ち(霊)はや(激烈)ぶる(振る))→宇治
などがある。

神の名に掛るもの

高光る→日の御子、やすみしし(八隅を治める。天(あめ)の下をしろしめす。という意味)→大君
などがある。

万葉集の枕詞

 万葉集では合計枕詞数399、使用例1,729例である。全4,516首のうち1,729首に枕詞が使われているということで、実に四割近くの歌に枕詞が使われている。
 万葉集で枕詞の使用はピークを迎え、それ後は枕詞の使用が減ってくる。それに代わって台頭してくるのが、歌の技法を凝らす掛け詞などである。

http://tanka-ron.blogspot.com/p/blog-page_9.html

古今和歌集以降、枕詞の使用が少なくなった理由

 枕詞の使用が少なくなった理由として、 音の和歌から文字の和歌への移行(耳の和歌から目の和歌への移行)が挙げられています。山岡弘道氏ノートの短歌論には次のような記述があります。

  「口承による伝達、記憶」という万葉集の時代は、ある言葉を強調するために、その上に枕言葉を付ける、という必要もありましたし、枕詞を頭に付けることによって、文字はなくても、その歌の内容を覚えやすくするということが、あった。古今和歌集以後の、誰でもひらがなを使って和歌を記録できるということになってくると、枕詞で強調して覚えやすくする必要がなくなってきます。加えて、和歌を使って色々な意志の伝達ができるという、一種の意志伝達の道具としても和歌が使えるというようになってきました。その結果、和歌が掛詞を使ったりした華麗で複雑なものになって行ったと思われる。

http://tanka-ron.blogspot.com/p/blog-page_9.html

補足

 上記の内容がわかりやすいように少し補足しますと、日常会話においても、相手の話の最初の数語は聞き取っていない場合が多いのが事実です。耳(聴覚を司る脳の組織)が一瞬で相手のことばを聞くことに集中できないからです。これを補っているのが、相手の口の動き(口の形)からの視覚的情報、 前の話からのつながり(話題の関連性)や後に続くことばとの関連等をもとに判断する能力です。したがって、会話時に相手の顔(口)を見ない人や、話に集中せず前後の関係を考えない人には何度も聞き返す人がいるものです。

 日本の古代においても、ことば(やまとことば)はありましたが文字がありませんでした。万葉集の時代においてさえ、和歌は万葉仮名(漢字一字に一音をあてたもの)で書かれていました。また、同じ音でも違う漢字が当てられている場合もあります。万葉の時代及びそれより以前は和歌は紙に書いたりするものでなく、ことばで相手に伝えるものであったようです。
 そして、その場合、相手が最初のことばを聞き逃したりすることがないよう予め枕詞を述べて、何について歌を歌うのか聞く態勢を整えられるようにしたということです。

 それが古今和歌集の時代になると、ひらがなが普及し、誰もが和歌を書くことが出来るようになり、文字で伝えるように変わってきたことから枕詞の必要性が少なくなったということです。

自然に対する畏敬の念の薄らぎ

 飛鳥時代から奈良時代、さらに平安時代へと時代が変わり、雅な宮廷文化が花開くなかで、飛鳥時代以前の古代人が持っていた自然に対する畏敬の念や素朴な信仰心が次第に薄らぎ、恐れ多いものをことばに出す時や対象に対する畏敬の念を表すために枕詞を用いなければならないという意識も次第に無くなって行ったのではないかとも思われます。

この記事をシェアする

コメント

コメントはありません。

down コメントを残す




folder 新型コロナウイルス

コロナワクチン接種の効果と接種への不安
more...