信仰の目標と目的は何か?
信仰の目標は神であり、目的は神の御許(世界)に行くことです。
ことばを変えて言えば、神の御許に至る方法として信仰が必要であり、信仰の段階をいろいろな角度から説明しているのが宗教ともいうことが出来ます。
信仰とは神の御許に向かう修行
信仰とは、神の御許(不安恐怖のない安らいの世界)に向かう修行のことであり、神の指導に従っていく修行のことをいいます。
従って、世間で広く行われている、手を合わせ現世利益を願うだけで人間として向上するための修行を伴わないものは正しい信仰ではありません。
宗教とは神の御許に至る方法を示すもの
神の御許に至る方法をいろいろな角度から体系的に説明しているのが宗教です。
地球上に宗教と言えるものは少なく、キリスト教・回教・仏教の三大宗教は宗教と呼べますが、覚りの世界に導く教えの体系を持たないものは宗教と言えず、新興の宗教的組織や信仰団体は宗教と言えないものがほとんどのようです。
さらに、上記三大宗教が今の時代に宗教としての本質をとどめているかは大いに疑問です。
草創期からのある期間は、開祖の教えが正しく伝わりましたが、組織が大きくなるにつれ組織の運営維持に力を注ぐようになり、次第に本来のあるべき姿から変質して行くからです。
勿論、そのような組織に所属する人の中に、釈尊やキリストなど聖者が説かれた道を求めて、正しい修行に努めている人もいるものと思います。
しかし、他宗を邪教として排斥したり、宗派争いや魔女狩りをする行為、財物や名誉を求めるなど世俗と変わらない行為をする組織などは宗教としての存在意義を無くしており、過去の遺物と言った方が良いかも知れません。
宗教が本来なすべきこと
人々を不安恐怖心から解き放ち、安心の世界に導くこと。
宗教の本義(本来なすべき役割)は、人々を不安恐怖心から解き放ち、安心の世界(神の御許)に導くこと、すなわち人々を神の御許に道案内することです。
神の御許を目指す人生航路においては、羅針図(宗教が説いている方法)を基に修行を続けるのであるが、かって行ったことのない神の世界に行くためには、羅針図や舵の役割をして下さる神の御導きが必要となります。
また、途中で難破せぬよう航行を続けるには、船の特性(己の特性や自力)を知るとともに、船を補強し(修行を続け自力を高め)ながら進まねばなりません。
正しい宗教を求めること
目的地(神の御許、安らいの世界)にたどり着くには、正しい宗教を求め、神の御加護と御指導が得られるよう、正しい信仰(修行)をしていかねばなりません。
このようにして、目標を見失うことなく正しい信仰(修行)を続けていけば、神への接近をはかりながら、いつかは神の御許に到達することは間違いありません。
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