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宗教アレルギーと宗教音痴、似非宗教を見抜く科学的姿勢を

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銃撃事件で統一教会の活動が白日の下に

 昨年(令和4年)7月8日、奈良県奈良市の近畿日本鉄道大和西大寺駅付近で元内閣総理大臣の安倍晋三氏が銃撃された事件により、統一教会( 世界平和統一家庭連合、以下統一教会と記述 )の活動が日本社会に極めて暗い影を落としていることが明白になった。

深刻な問題が明白に

政治家との癒着

 一つ目の問題は統一教会と政治家との癒着である。選挙時の票欲しさに統一教会と関わりのあった政治家が相当数いることが明白になったことである。韓国の利益団体の日本支部とでも言うべき組織に日本の国益を第一に動くべき政治家が関係を持つことは本来あってはならないことである。家庭崩壊した信者が少なからず存在したにも拘らず、統一教会問題に真剣に取り組む政治家が現れなかったのは、国民の利益よりも自分の利益(票田)を優先する政治家の姿勢の現れである。安心して国政を任せられる政治家が存在したのかという、真に憂うべきことである。

霊感商法と高額献金

 二つ目の問題は霊感商法と高額献金の問題である。信者を巧妙に洗脳することにより、家庭崩壊を引き起こしてまで高額献金をし続けている信者が少なからずいたということである。

洗脳の恐ろしさ

人の不安や弱みにつけこむ洗脳

 人は弱いものである。事業や仕事が思うように運ばないときや、病気で体調が悪いときなど、また身内で不幸が続くときなどは気弱になる人が多い。そんなとき、先祖が霊界で苦しんでおり、除霊すれば運が開けるなどと言って、高額な献金を勧めるなどすれば、少なからぬ人が心を動かされるものである。これは何も統一教会に限ったことではなく、浄土宗や浄土真宗あたりも死者が良い世界に行けるようにと、寺社への寄進や高額な戒名を勧めるなどしてきた歴史がある。ただ、統一教会においては、信者に借金をさせてまで献金させたり、家庭崩壊をさせてまで献金を続けさせたりしてきたことは、大きな問題である。良心の欠如は明らかであり、宗教団体と名乗ることに恥ずかしさを覚えないのであろうか。集金機能を徹底するための洗脳の強烈さについては、他の団体の追随を許さないものがある。

除霊や先祖供養に布施を求めるのは宗教の本来の姿から逸脱している

 宗教とは人を不安恐怖心から救い、安心の世界に導くのが本来の役割である。そして、救われるためには本人の人間的努力(修行)が求められる。さらに、死後の世界がどうなるかは、生前の当人の生き方によるのであり、死に際になってお金を積んで変えられるものではない。
 また、子孫が亡くなった先祖の救いを祈る場合、金品を供えたり高額の布施をしたりして先祖が救われるものではない。先祖の救いを願うならば、願う子孫自身が神仏に願いが届くよう人間的修行を重ね(教団への寄進ではない)、その上で真心込めて神仏に先祖の救いを願うことである。
 除霊や先祖供養が必要と言って不安を煽り、すぐに布施を求めるのは、宗教法人の皮を被った似非宗教であることを自ら表明しているようなものである。

正しい知識を持てば洗脳されにくい

 現在は科学万能の時代であり、世界の多くの人、特に日本人は科学信仰をしている人(科学万能と思っている人)が多い。その反面、科学を信じながら似非宗教に騙される人が少なからずいるようである。その理由は、科学を信じていると思っている人の多くは、単なる宗教アレルギーで、科学的に宗教に向き合うことがなく、宗教的知識が乏しいからである。

 例えば、地下鉄サリン事件を起こした当時のオーム真理教やその後継団体、いま世間を騒がしている統一教会など、宗教に対する正しい知識を持つ人からすれば、宗教団体を隠れ蓑にした団体であることは明白である。諸外国ではオーム真理教はテロ組織としてマークされているし、統一教会は宗教団体というより戦後の共産党勢力の力を削ぐための勝共連合としての集金組織とでもいうべきものである。

日本人の宗教アレルギーは宗教に無知な国民を作り上げた

 宗教嫌いと宗教アレルギーは異なるものである。宗教アレルギーは理屈抜きの嫌いであり、宗教的に無知な人を作り上げ易い。戦後まもない頃は入信を無理やり勧誘する宗教団体が幾つかあり、警戒感から社会的に宗教アレルギーを作り出す素地はあったが、本来宗教や信仰は本人が納得して始めるものである。

対象を多面的に調べ判断する

 したがって、目の前に宗教団体や信仰団体があるとき、拒否反応を起こすのでなく、対象を冷静に判断するだけの知識を持つことが第一にすべきことである。信じるか信じないかはその次の問題である。また、仮に対象の団体が良きものであっても、何も信じなければならぬわけではない。それは各人自身が決めることである。なお、執拗に入信を迫る団体であるとせば、信者獲得や布施や寄進による集金が目的であろうことを自ら主張しているようなものであるから、入信しない方がよい。落ち着いて冷静に対象(組織、人間、活動内容)を多面的に調べ判断することである。これが科学信仰を自認する人が取るべき科学的対応である。

即答しないで検討する期間を作る

 ただし、信者獲得を目論む宗教組織の最初の勧誘は、宗教とは関係ない集まりへと誘い安心を与えながら徐々に洗脳していくものが多いようである。誘い方などは保険の外交員よりも長けていると思われるから、注意が必要であり、一歩踏み込んだ話になったときはその場で即答したり、書類を出したり、サインしたりしないことである。考える時間が要るということでその場の話は終え、信頼できる人や組織、弁護士などに相談してみることである。そして次回、はっきりと断ることである。

古今東西変わらず大切なもの

 大自然に対する畏敬の念や神仏を敬う純粋な信仰心、先祖を敬い大切にする気持ち、自分を高めようとする気持ちや努力などは、古今東西変わることなく人として大切なことである。

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