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椎葉移流(シーハイル)

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AIの進化に人は対応できるか?

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病院の待合室

 先日、病院の待合室で順番を待っていたところ、近くに座っていた老夫婦の会話が耳に入ってきた。私も他人から見れば十分老人であるが、その夫婦は私より少しばかり年上のようであった。目をやると婦人の方が夫を置いて待合室を出ていこうとするのを、夫なる人が不安げに引き止めている様子である。話の内容からして、タクシーを予約したので、タクシーが来るのを外で待つため待合室を出ていこうとしているようであった。

 そこで、「タクシーなら待合室まで呼びに来るから、ご主人のそばにいてあげたほうがご主人も安心されますよ」と話したところ、婦人は私にお礼を言い、ご主人の隣に座りタクシーを待っておられた。

「タクシー!」

 しばらくときが過ぎた後、待合室に一人の男性が駆け込んできたかと思うと、一言「タクシー」とのたもうた。一瞬のことであったが驚きであった。述語のない「タクシー」という単語一言である。お迎えという仕事もあるプロのタクシードライバーなら「◯◯タクシーですが、お迎えに上がりました」くらいのことは言ってもよさそうである。そうでなくても「◯◯タクシーです」くらいの述語はつけてもらいたいものである。

会話の少ない世代

 子供の頃から人との接触や会話が少なく会話が苦手な世代が増えつつある時代ではあるが、プロとして仕事についたとき、仕事を通して人との関係を円滑にする最低限の言葉遣いはできるようにしたいものである。今やAIが多方面に進出しつつある時代である。名古屋市でも一部バス路線で無人運転を試験的に始めており、近い将来、タクシーにAIロボットが導入されることも十分考えられる。「◯◯タクシーですが、お迎えに上がりました」くらいのことはAIでも言うことであろう。その時、人間のタクシードライバーは何をもってAIに対抗するのであろうか。

AIに負けないことばは心遣い

 タクシードライバーの場合、「◯◯タクシーですが、お迎えに上がりました」というだけでは、人はAIに優越を誇れない。ことばを丁寧かつ上品にすることくらいはAIにとってなんでもなく、むしろ並の人以上の言葉遣いをすることも容易である。この分野で人がAIと競えるのは相手に対する言外の心配りであろうか。

人間知はいずれAIに追いつかれる

 コンピューターは人間がはるかに及ばない速度で情報を処理する。AIも人工知能を有するコンピューターであるゆえ、思考速度・論理思考で人間が遠く及ばないものである。AIが進化すれば、論理的・戦略的能力でも人間にまさるようになることは目に見えている。したがって、他国の犠牲をいとわず自国の利権や権益を追求する国際社会においても、多くの政治家や国家元首に置き換わり得る能力を秘めている。将来、各国の政治家や国家元首も不要になる可能性すらあるわけである。中国、米露や各国の元首たちも将来AIに置き換えた方が良いという時代が来るかもしれない。いかに優秀な人と言えど、知の戦いの世界においては、人はAIに勝てなくなる時が来ると思われるからである。

AIに出来ないことはあるか

 知の世界(競争世界)においては近い将来AIは人間を凌駕する。膨大な過去のデータの蓄積とそれらの分析・処理においてAIの能力は人間のはるかに及ばない領域にある。また、哲学や思想の分野においても、過去に文字化や記号化がされたものはAIに学習させ活用が可能であろうから、この分野でも人間が安閑としておられるものではない。インド(仏教)哲学、中国(諸子百家)思想も過去に文字化されたものはAIに学習させ、活用することは不可能ではないと思われる。したがって、似非宗教は言うに及ばず、経文にあることを繰り返し説教しているだけで、自ら向上すべき修行をしていない(真の修行体験を有しない)僧侶などは無用となる時代が来るかもしれない。こうして見てくると、現在多くの人間がしていることで、AIに出来ないことはほとんど無いように思われる。

AIに出来ないと思われること

 AIが出来ないこととしてよく挙げられるのが新たなものの創造である。しかし、人が新たなものを創造する場合でも、過去のものを参考にしたり、複数のものを組み合わせたりして創造することも少なくないことを考えれば、AIが創造分野で活躍することは可能であろう。

 AIに出来ないと思われるものを敢えて挙げれば、言外の心遣い、自己犠牲の行為、慈悲の心などが考えられる。

言外の心遣い

 形の上での丁寧で優しい言葉使いはAIも学習して可能となるが、相手の表情や口調など言外に感じられることから適切な言葉をかけたり、寄り添ったりするのは相手に対する優しい心を持ち合わせていてこそできることであり、人以外では飼い犬などがそのような動きをする。これは、人も含め動物(生命体)は自ら心の波動を出しており、他の心の波動を感じる取る力を本能として持っているからである。生命体でなく動物的心のないAIには無理であろう。

自己犠牲

 自己犠牲とは自分の利益や存在を否定して相手を生かす動きである。AIが自己否定すれば自分の存在がなくなってしまうため、AIには出来ないことであろう。

慈悲心

 「慈」は与楽の精神を持って相手を幸福にする慈しみ深い心、「悲」は抜苦の精神を持って相手を幸福にする憐れみ深い心をいう。慈悲心とは、単に優しい言葉や慰めのことばをかけるといった小手先の動きでなく、相手の心情に深く寄り添い、真に相手の幸せを願う仏菩薩の心に通じるものであり、必要に応じて憤怒の相となることもある。このような精神世界の深奥に関する動きはAIには到底出来ないことであろう。

啓示、直感、インスピレーション

 啓示、直感、インスピレーションはいずれも論理を超えた(非論理的な)ものである。私自身の経験からすると、別世界からの信号をキャッチするといった感覚であろうか。いずれも内容が高度か否かが問題であるが、高度なものにはなかなか接し得ないものである。
 高野山を開かれた弘法大師空海が、唐で恵果阿闍梨から授けられ、日本に持ち帰られた大日如来の教え(真言密教)は、文字化されたものでなく行によって修行者が直接神から教えられる形であった。行の内容は教える神と行を受ける者以外他が知ることが出来ない教えのため秘密の教え、略して密教と言われたが、行で教えられる内容は仏陀の叡智(宇宙真理)の一部であるとされている。空海自身は行中本仏と直接語り合う力をお持ちであったとのことであるが、空海が亡くなられて長い時を経た現在、高野山でその高度の教えがどの程度継承されているかは不明である。ただ、高野山には「阿字観」という行法(観法)が伝えられているようである。
 世間でよく言われる啓示、直感、インスピレーションなども、その内容が宇宙真理の一端につながるものならば素晴らしいものであるが、それは稀有なことである。
 このような形而上のことはAIには到底不可能であろう。

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