「六波羅蜜(六波羅蜜多)」とは何を意味するのか?またどのような言葉なのか?

般若心経と波羅蜜多

 般若心経は、釈尊の教えを顕した経典「大般若経」の中の核心を二百六十二文字にまとめたもので、多くの仏教儀式で読誦されるよく知られたお経であるが、その中に深遠な真理が含まれており、修行者に役立つところの多いお経である。

 その般若心経の中に「般若波羅蜜多」という言葉があるが、「般若」とは般若の智慧のことで、正覚に基づく叡智のことである。

 また、「波羅蜜多」とは彼岸に至る修行のことであってサンスクリット語「パーラミター( Pāramitā ) 」の漢訳である。 波羅蜜多は、内容的には「六波羅蜜多(ろくはらみた)」のことであり、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」ともいう。

「六波羅蜜(六波羅蜜多)」とは何か?

 上記したように、六波羅蜜(六波羅蜜多)とは、仏教経典に出てくる仏教用語であり、仏・菩薩の境地(彼岸に至ること)を目標として修行する仏弟子が本来取り組むべき根本的修行を六段階に分けた、布施・自戒・忍辱・精進・禅定・智恵の六つの修行をいう。

 以下に、それぞれの修行の内容について記載する。

布施(ふせ)

 神仏にお供えしたり、他に施すこと布施をいう。

 あるから与えるといった優越感から与えるのでなく、真心から施すといった気持ちで施すものでなければ布施にならない。

 財物を施す布施を財施(ざいせ)といい、神意や真心を施す布施を法施(ほっせ)という。

持戒(じかい)

 戒律を守ること、即ち仏陀の(お釈迦様が仏弟子が守るべきとして定められた)戒めを守ること。

 形式的に守るのでなく、自己完成のために守るのでなければ真の持戒とはいえない。

忍辱(にんにく)

 人間的な感情による不健全な喜怒哀楽が先に立っては、修行の邪魔になると同時に、煩悩の種子ともなるので、すべてを忍び、すべてをこらえて、徐々に性格を整えていく修行。敵を作らず人に好かれるよう徳を積む修行。

 忍辱も戒律を守って初めて出来ることである。

精進(しょうじん)

 仏・菩薩に近づく(彼岸に至る)ため、仏陀の教えをそのまま実践し努力を重ねなければならないとするところから出た励みを精進という。

 目標を仏・菩薩としない努力や励みは精進といえない。

禅定(ぜんじょう)

 跏坐(かざ)を組み心静めの行をすることをいう。

 布施から精進までの四つの波羅蜜が動的行といえるのに対し、禅定は静的行といえる。

 仏陀の教えを受け・守り・実践し、これをまとめる行を禅那思惟行(ぜんなしいぎょう)といい、この行によって禅定に入り、三昧(さんまい)の境地を得ることによって仏陀の境地を知ることが出来るとする。

智恵(ちえ)

 智恵とは覚りの果をいうのであって、人間的感情による知恵をいうのではない。すなわち仏陀の境地によって示される智恵をいう。

 この智恵によってすべてを判断し、すべてを行うことによって、波羅蜜行の目標である彼岸に到達することが出来るとする。

 正覚に基づく叡智のことであり、般若心経にいう般若の智慧のことである。
 

補足

 波羅蜜多行を六つに分けたとしても皆相互に関連があり、どれ一つ欠けても行の結果は遠のくので、関連を十分考え、常に自己を振り返りながら自らの行いに反映させて行くことが必要である。

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