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死者を仏と呼ぶのは正しいのか?|仏とは本来どのような存在を言うのか?

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死んで仏になれるか

 世間では、死者のことを仏と言っています。現在では、本来釈尊の弟子たる存在の仏教僧侶の殆どが死者を仏と言っていますが、いつの時代からこの様に言うようになったのでしょうか。

 弘法大師空海や伝教大師最澄が仏教を弘めておられた奈良時代・平安時代の仏教(奈良仏教)においては、死者を仏とは言っていなかったはずです。

 神秘的な体験をしたことはあるものの、臨死体験をしたことはないので断言出来ませんが、人が死んで霊体が残るとした場合、死んだときの心の状態が死後も続くと考えるのが自然であり、死んで急に仏の(心の)境地になれるはずがないものと思われます。

六道輪廻

 六道(ろくどう)とは、心の状態を、最上位の天界から最下位の地獄界までの六段階の世界に分けたものです。その六段階の世界とは、天界・人間界・修羅界・餓鬼界・畜生界・地獄界の六つをいいます。 https://marisuke.com/archives/4877

 人が死んだ場合、死者の霊はその人の心の状態によって、その人にふさわしい上記六つの世界のいずれかに行くとされていますが、人の道に外れた行いをしている者が死んだ場合、修羅界以下(四悪道)の世界に行くとされています。

 また、六道の最上階の天界の神でさえ、人間と取引する(人間の欲を伴った祈りに応える、悟りを開いていない)存在であり、真の神の境地に至っていない神とされています。

四聖道の世界

 六道の世界の上に四聖道(ししょうどう)の世界があります。天界の一段上の声聞界から最上位の仏界までの四つの世界があり、下から記せば、声聞界(しょうもんかい)・縁覚界(えんがくかい)・菩薩界(ぼさつかい)・仏界(ぶっかい)となります。

 人が修行により、己の人間性を高めて天界から声聞界(四聖道の入り口の世界)に至ることができれば、六道に落ちることはないとされていますが、多くの人は六道の世界を生まれ変わり死に変わりしているものと説かれており、これを六道輪廻(ろくどうりんね)といっています。

 従って、四聖道の最上階である悟りの極地である仏の世界ははるか高い世界であり、我々凡俗の想像だに出来ない世界であるのです。ちなみに、地球上に仏界に位する人が存在されるかといえば、釈尊在世のようなときであれば、地球上に釈尊一人が存在しておられると言えるような希有で至尊な存在であるのです。

 このようなことを正しく知れば、死者を仏と呼ぶこと自体が不遜であり、釈尊のような大聖者に対し失礼極まりない言動と言わざるを得ません。

先祖を大切にし、死者を懇ろに弔うことは美風

 上記したことは、先祖や死者を粗末に扱えということではありません。先祖を大切にし、死者を懇ろに弔うことは、人としての美風であり大切なことであることは言うまでもありません。ただ、亡くなった先祖に直接祈ってみても、多くの霊は別世界で自由に動けないことの方が多く、効薄いことを知ることです。

 亡くなった先祖や縁者が、別世界で四聖道(真の神の御許、悟りの世界)に向かって歩んでいけるように、仏陀や如来、あるいは菩薩にお導きを願うのが正しい祈りのあり方であるのです。

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