短大時代の同窓生である愛子、正子、節子、知子、信子の5人は、今日は和風喫茶の座敷で特製の弁当を食べ終え、食後の抹茶を飲みながら話し合っていた。
今回は、TV等で誤用されている敬語、「頂きます」の誤用と敬語の3つの用法、言葉と人間性の関係について話し合った。
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和風喫茶で抹茶を一服
愛子「和風喫茶と言うから抹茶とかぜんざいとかしかないと思っていたけれど、食事も出来て抹茶も飲めるなんて良いわね」
正子「予約しておくとお弁当が食べられるのよ、20食限定だけれどね。男性の大食漢の人だと物足りないかもしれないけれど、私達お上品な女性(笑)にとってはお昼としては十分な量あるものね。抹茶付でお値打ちでしょう」
信子「このお値段でお庭を眺めながら食事が出来のはとてもいいと思うわ。節子、いい所知っているのね」
正子「大勢だと食事代もばかにならないけれど、ここは内容の割に高くないし、落ち着いて食事できるから家族で時々利用しているのよ」
知子「事前に予約すればいいのね。私も今度家族で利用してみるわ」
節子「ところで、以前ことばと文化について話したことがあったでしょう。あの時の話はちょっと難しかったけれど、もう少し身近なことで聞きたいのだけれど」
正子「そうね、以前の話し合いでは私が調子に乗って難しい話をしたかもしれないわね。ところで節子、身近なことって具体的に何かあるの」
敬語の誤用がTVでも目立つ昨今
節子「敬語について皆に聞きたいのよ。最近かなり乱れて使用されているでしょう、テレビのアナウンサーのことばでも疑問に思うことが多いもの。敬語法については高校の授業で習ったのが最後だけれど、記憶していることが正しいかどうか一度頭を整理したくて皆に聞きたいのよ」
愛子「敬語法って、目上の人の行動に対して『れる』、『られる』とか言うことばを付ける言い方のことだったわよね?」
節子「そう、その敬語のことよ」
ことば遣いは人柄を表す
信子「最近、敬語を正しく使えない人が多いけれど、正しく使われている敬語は聞いていてとてもきれいな感じがするわね。使う人の人柄や教養も、その人のことば遣いから推し量られるものね」
正子「そうね、自意識過剰で敬語を使わない人は尊大な感じや心遣いが雑な感じがするし、正しく敬語を使えない人は育った家庭がきちんとしていなかったことがある程度推測できるわね」
信子「そうよね、人として大切なものは一言でいえば心がきれいであることよね、他に対する思いやりがあるとか、それが行動やことばに現れるわけでしょう。謙虚な心の現れの一つが敬語なのだから、人以外の動物ならいざ知らず、人としてとても大切なものだと思うわ」
気になる「頂きます」の誤用
知子「最近の言葉遣いで気になるのは『頂きます』と言う言葉よね。この言葉は謙譲語なんだから、受け手が自らをへり下ることによって、相手を立てて言う時に使う言葉でしょう。だから、会社や組織において、目上の人からある役を引き受けるように言われたときに『お役をさせて頂きます』と言ったりするのや、会合などで説明を請われた時に、説明する側が『説明させて頂きます』というのは正しいけれど、行為をする側が受ける側に対して『見て頂きます』と言ったり、『食べて頂きます』とか言うのは間違っているのよ」
正子「テレビの司会者が、『それでは誰々に何々を歌って頂きます』と言って歌手を紹介するのも間違いなのでしょう。アナウンサーもかなりの人が間違って使っているわね。何でも『頂きます』を付ければ丁寧だと思っているのよ。丁寧語と謙譲語は別なのにね、語彙が少ないと言うか、日本語を知らないと言うか、ことばのプロとしてもう少し勉強してほしいわね」
信子「大学卒業時点で正しい言葉遣いを期待するのは無理だと思うけれど、少なくともテレビ局や放送関係の会社は入社後の新人教育できちんと教えなければだめじゃないかと思うわ。でも、今の時代、正しい日本語よりも英語を話せることの方を重宝しており、会社側も日本語の語法の教育をしてないのじゃないの」
正子「テレビで日本語のクイズ番組を見ていてもアナウンサーグループが、芸能人チームや、お笑いチームに負けたりしたりしているけれど、いまどきのアナウンサーは正しい日本語を本当に知らないのね。一昔前では考えられないことね」
知子「昨年、バスツアーで九州に行ったのだけれど、添乗員の女性が、観光地で『次はどこどこを見て頂きます』とか、食事の時に『どこどこで食べて頂きます』と間違った言葉遣いをしているけれど、アナウンサーが間違えているくらいだから仕方ないかと思って聞いていたけれど、多くの人が間違った使い方をしているわね」
愛子「学校が英語に力を入れるようになって、国語の授業できちんと教えなくなったのかしら。でも中学と高校で習ったわよね」
節子「そうよ。でも、敬語法を理解していなくても、国語の合格点は取れるから、わからないまま大人になっている人が多いのでしょうね」
家庭におけることば遣いの大切さ、心を育てることば
信子「日常会話の中で敬語をごく自然に使っている両親のもとで育てば、子供も自然に身に付けるだろうけれど、敬語を使わない親のもとで育った子は学校で習っても使うのに抵抗があるかもしれないわね。親が賢く謙虚であることや、そのようになろうと努めることは子供のことば遣いにとってとても大切だと思うわ」
正子「学校でも受験のための知識の切り売りばかりでなく、心を豊かにする面で、敬語法を含めた正しいことば遣いをきちんと教えて欲しいわね」
知子「ことばは人間関係を良くも悪くもするものだから、心を育てるとともに、心を的確に表現することば遣いを身に付けることは大切よね。最近テレビのクイズ番組で日本語を題材にしたものが多くなったことは喜ばしいことよね。ことばを知っているか知っていないかと言う点での問題ばかりが取り上げられているのは不十分であるけれど、テレビのクイズ番組では語法や表現の優劣まで取り扱えないものね」
信子「そうね、でもクイズ番組を通してでも、日本語に興味を持つ人が増えれば、日本語の素晴らしさに気付く人も徐々に増えてくると思うし、良いことよね」
節子「私も知っているつもりで自信がないので確認したいのだけれど、敬語って、先程の謙譲の他に何があるの。『尊敬』があるのは覚えているけれど」
敬語の用法には丁寧・尊敬・謙譲の三つがある
知子「敬語には、丁寧・尊敬・謙譲の三つがあるのよ」
節子「さすが知子ね。高校時代に習ったことよく覚えているわね」
知子「この間、たまたま高校時代の古典の本を読んでいたのよ、私古典好きだったから。そうしたら、以前ことばについて話し合った時、「頂きます」の誤用の話が出たでしょう。それを思い出して敬語法のことを調べてみたのよ。だから覚えていたのじゃなくて、調べて頭を整理したばかりだから説明できるのよ」
節子「知子、丁寧・尊敬・謙譲の三つの違いを簡単に説明してよ」
知子「いいわよ。話し相手に対して改まった気持ちで言うのが丁寧よ。例えば『私が行く』と言うことを、『私が行きます』とか『私が行きとうございます』とか言うのが丁寧なのよ。次に動作や状態の主(主格)を、話す人が高めて言うのが尊敬というのよね。例えば『先生が参加する』と言わず、『先生が参加される』『先生が御参加になる』と言うのが尊敬でしょう。そして最後に、動作の主を低める(主がへりくだる)」ことによって、その動作の関係する相手を高めるのが謙譲なのよ。だから、『私が参加する』と言うのを、『私が参加させて頂きます』というのが謙譲の表現よ。だから『頂きます』と言うのは話し手が自分を低めるために用いる言葉であって、相手に対して用いるのは間違いなのよ、先程の『どこどこを見て頂きます』とか、『何々を食べて頂きます』とか言うのは間違いなのよ」
節子「どのように言うのが正しいのかしら」
知子「例えば案内する場合なら『どこどこを御案内します』とか『どこどこを案内させて頂きます』と言えばいいし、食事の場合なら『何々をお召し上がりください』とか『何々を準備させて頂きました』とか言えば間違いでないわけよ。とにかく最近では、何にでも語尾に『頂きます』を付ければ良いように思っている人が多いわね。」
語彙が少ないのが原因?
信子「語彙が少なくなってことばに自信が持てないからそのようになってきたかもしれないわね」
正子「そういう点では、漢字検定が盛んになってきたり、テレビのクイズ番組でも日本語が取り入れられるようになって来たのは良いことよね」
信子「そうね、日本語に興味を持つことによって、日本の文化を見つめなおすことに繋がって行けばいいわね。自然との共生、隣人との輪(和)を大切にする日本人本来の生き方を取り戻すことになって行けば、心豊かな社会が現実のものになるものね」
心を育てることによってことば遣いも豊かに
知子「敬語法を含む言葉も心が伴って本物だから、相手を敬う心、自分を振り返る謙虚な心がなければならないわね。そういう点から、日本文化の良さに多くの人が目を向けるようになればいいわね。自然の恵みに対する感謝の心や、自らの行いを振り返る謙虚さを多くの人が持つようになれば、心豊かな社会が実現するわね」
信子「ことばが心の表現である点を考えると、正しい言葉遣いを身に付けることによって、心も正されていくという面があるわけでしょう。だから、敬語に関して言えば、敬語を子供の頃から使えるように育てることは、子供の心に謙虚さを植え付けることになるのよ」
正子「知っているだけじゃダメで、使いながら身に付けることが大切よね。丁度、生まれた子を、手をかけて育てていくことによって、子供に対する愛情が深まっていくのと同じよね」
節子「日本人が本来持っていた、他を敬う気持ちや、他を思いやる気持ちと敬語は切り離せないと言うことね。今日は敬語について皆からいろいろ教えてもらうことが出来てとてもためになったわ。じゃあ今日はこれでお開きにしましょうか」
ことばと心の関係の補足
- ことばと心は互いに影響を及ぼし合っている。慇懃無礼な言葉は論外であるが、心が穏やかであればことばの響きも穏やかになるし、表現も優しいものとなる。逆に心が荒れていればことばの響きも荒々しくなるし、表現もキツイものになりやすい。
- ことばと心の関係を利用すれば、正しい言葉遣いに努めていれば、心も次第に穏やかなものに変わって来る。実際、多くの人が経験したことがあると思うが、身内の耳の遠い人に何度も大声で話していると、感情も高ぶりがちになって来るものである。
- 今の日本社会の乱れとことばの乱れは無関係でなく、ことばを正すことは社会の乱れを正すことに繋がっていくことが期待される。特に敬語をきちんと使えるように子供のうちから躾けることは、思いやりと謙虚さを兼ね備えた人間に育てる上で大きな助けとなるものと思われる。
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