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椎葉移流(シーハイル)

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ことばに現れる逃げの心理

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気になる二つの話しことば

 最近気になる二つの話しことば(言い方)がある。テレビのチャンネルをひねれば、この二つのことばを耳にしない日は無い。いずれの言い方も以前はあまり耳にしたことがなく、誤用が広まったものと思われるが、そのような言い方が広がる原因として、心の負担を軽くしたいという逃げの心理が働いているように思われる。

一昔前の名古屋の下町

 今から50年以上昔、当時私が住んでいた名古屋の下町では(おそらく当時の日本の多くの地域でもそうであったろうが)、大人たちは近所の子のいたずら等を叱ったり窘めたりしたものである。叱られた子の親も、それを良いこととして受け入れるだけの心の余裕や考えの幅があった。そのような中で、子どもたちは、してはいけないことを覚え、自らの行動に責任を持たねばならないことを学んだものである。

その後の社会の変遷

 その後、時の経過とともに、我が子のみを優先する風潮や、悪平等思想 (お手々繋いでゴールインなど、すべての競争を悪という考え) が社会に広がり、さらにことばの魔女狩り(使用する者の意識が問題であるに拘らず、一律的に差別用語が決められる)など、本質に関わらない些細なことで他を追及をする動きが広がり、自分の考えを言いずらい社会へと変化してきた。そのような社会変化の反映として、人の言い方も変わり、それまで無かった言い方がされるようになってきた。共通する変化の傾向としては、心の負担を軽くしたいという気持ちの現われのような言い方が見られるようになってきた。

「私的には」

 その一つは、「私(わたし)的には・・・」という言い方である。本来「私は・・・」と言うべきところを、心の負担を軽くするためか、同じ考えの仲間が欲しいという心理が働くためか、ある範疇を表す言葉に付ける「・・・的」ということばを私(わたくし)という一人称単数を表すことばに付けて用いている。

 「的」ということばの通常の用法は、科学的、形式的、現実的、公的、詩的などのように用いられ、意味するところは「・・・のような」、「・・・らしい」、「・・・として」である。「私的」という表現はあるが、これは「公的」に対する語で、公のことでなく私事(わたくしごと)という意味で「してき」と読むのであり、「わたくしてき」ではない。

 たしかに、「私は・・・」と言うより「私(わたくし)的には・・・」と言った方が受け手にソフトな印象を与えることは出来るが、世の中に一人しかいない自分の考えを述べるのであれば、「私は・・・」というべきである。そもそも、私的にはとは、誰がそのように思うのであろうか。また、私的でないのはどういうことなのか曖昧模糊としている言い方である。

「頂きます」

 「頂きます」ということばは、本来行為の受け手側が、相手側からかしこまって受け取るときに用いることばである。両手を頭上に上げ、かしこまって受ける姿勢が頂くということばの原意である。すなわち、「頂きます」ということばは、能動的に行為する側が受け手側の行動を表現するときに用いることばではない。従って、テレビの司会者などが、視聴者に向かって「見て頂きます(見るのは視聴者)」とか「聴いて頂きます(聴くのは視聴者)」などとは言うべきものではないはずである。

 そのような場合、司会者側としては、「御覧ください」とか「お聴きください」と言うべきであり、それが素晴らしい番組なら、視聴者側が「見せて頂こうかしら」とか「聴かせて頂こうかしら」となるわけである。しかるに、多くのアナウンサー、観光地の案内係などが「・・・を見て頂きます」、「聴いて頂きます」と、字義からして「ありがたく頂け」と言わんばかりに、「頂きます」の押しつけを受け手側に行っている。公的な職業に就く者は、もう少し自らの職業や立場に自覚を持って、言葉遣いに心配りをして貰いたいものである。

「頂きます」の濫発

 この「頂きます」の濫発が、最近特にひどくなった。2~3例をあげれば、お店が店を閉める場合、「○月○日閉店(します)」と言えばよいものを、「○月○日閉店させて頂きます」といい、お店の休みを「△月☓日休業(します)」と言えばよいものを、「△月☓日休業させて頂きます」と言う。お店は受け手側でなく、事情があるにしろ、能動的に閉店したり休業する側である。客の意を受けて閉店するのでもなければ、休業するわけでもない。従って、「頂きます」ということばを末尾に使うのはふさわしくないはずである。

謙(へりくだ)りと負担の軽減

 この相応しくない用法の多くは、使用者自身へりくだって言っていると思っての誤用であるようである。ことばを発している人たちの様子を見ると、「頂きます」ということばを末尾につければ、丁寧な言い方であると勘違いしているようである。何にでも「頂きます」を付ければ良いと思うのは、語彙が少ないことの証である。しかし、それに加え、自らの決断に対する責任や気持ちの負担を、少しでも軽くしたいという気持ちが働いているようにも感じられる。

ことばの乱れは社会の乱れ

 ことばはその国の文化と密接な関わりを持っており、国の文化の根幹の一つを成している。先哲の詞(ことば)に、「ことばの乱れは社会の乱れ」という詞がある。古来、日本人は潔癖で責任感が強く、自らの行いには身命を賭すという立派な人が多かった。そのような人のことばには力があり、周囲を納得させるものがあった。

 戦後、欧米の自己中心思想、共産主義礼賛と異質のものを悪として攻撃する姿勢、間違った悪平等の考え、ことばの魔女狩りなどが社会に広がる中で、思ったことが言えなくなり、周囲の出来事に対して関わりたくないという人が増えてきた。それを反映しているのが上記した言い方などに現れていると考えられる。

ことばを乱さず良き日本の文化を後世に

 日本人の国語力や語彙力が低下し、ことばの乱れ(主に日本語の誤用)が社会の様々な方面に広がりを見せている。しかし、最近、テレビのクイズ番組などに日本語が取り上げられたり、高い視聴率のプレバトなる俳句番組が出現してきたことにより、日本語や日本文化に注目がされ始めたことは喜ばしいことである。ことに俳句は日本語という言葉だけでなく、日本文化に対する観察眼や感性も養うことができる上、手軽に始められることから、老若男女誰にもお奨めである。
 戦後の日本教育が、知識偏重に走り、人間教育や日本文化の伝承を軽視してきたことは否めないが、日本は古代から異質のものを受け入れ、同化し、より質の高いものに磨き上げてきた歴史を持つ、世界にも稀有な文化を持つ国である。良き日本の伝統文化を後世に繋いでいける、プレバトのような楽しく人を育てる番組が今後ますます増えることを望みたいものである。

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