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転倒( 顛倒 )とは
般若心経の中に、「遠離顛倒夢想」という箇所がある。日本語の語順に書き換えれば、「顛倒夢想を遠離して」となり、「 内心の倒錯的主観 を遠く離れて」という意味である。すなわち、 転倒( 顛倒 )とは、 ものを逆様に見ることであり、内心の倒錯的主観をいう。
四転倒(してんとう)
転倒は 内心の倒錯的主観である心の障りから生ずる。その代表的な以下の四つを四転倒という。
- この世を常也とする見方
この世を常と見る見方。永遠に形を変えず 存在するものはこの世に存在しない(色即是空)。しかるに常なりと見る心は転倒心である。
- この世を楽也とする見方
この世を楽なものと考える見方。この世に終始楽であるといい得るものはなく、楽であると思うことも実は苦の原因以外何ものでもない場合がある。 あれば良いと思うお金や立場も、手に入れた途端他に奪われやしないかという不安が生ずるものである。従って、この世に終始楽といい得るものが存在するという見方は偏見であって正しい見方ではない。
- この世を我也とする見方
この世の何処を眺めても自己主観の中心となるべきものはない。何か、己我の主体なる 「我」という ものがあって、それが自己を自己たらしめており、しかも、それが常に自在なるものと考える。「我」という実態があるものでなく、あるものは、大自然の一部として我が存在するのが実相であるのであり、己我的我は正しい見方ではない。
- この世を浄也とする見方
この世を浄なりと見る見方。実際、この世は実に不浄なものである。為すこと、見るもの、聞くもの悉く穢いものばかりである。個々人の自己中心的な動きや策略、自国の利益ため他国や多民族等を犠牲にする動きなど、醜く穢いものが多く存在する。 したがってこの世を浄なりと見る見方は正しい見方ではない。
諸法空相
諸法とは宇宙の森羅万象(目に見えるもの見えないもの全て)をいう。すなわち、森羅万象はすべてその実態は空であり、常なる形を持たないのが実相である
しかるに、世間は暫時の存在に過ぎないものを常なりと思い、苦を楽と思い、有りもせぬ我を有ると思い、穢いものを浄らかだと思い込むことは逆様な見方であってこれを四つの転倒というのである。
諸法の実相を知らぬため恐怖する処となり、また真価値を知らぬため四転倒の見方があるのは、空を空と知ることができない心の障りがあるからである。
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