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外道(げどう)
外道とは人間界から一段上に昇って天界にいる神の境地(https://marisuke.com/archives/4877)をいい、天界にいて人間を指導する立場にある。凡夫の一段上の立場にあるが、持っている己の地位・お金・身命を惜しむ捉われを持っている。
過去世における善業(ぜんごう)のために天界に引き上げられた者が、己の身命を守るのに汲汲として行くと、過去世の善業が消えた時、一段落ちて苦海に沈む。過去世の善業の現れとして利益(りやく)が出ることもあるが、善業が無くなった時苦海に呻吟(しんぎん)する。このように真の神の境地(真の覚り)に至っていない神の境地や神の教えを外道という。
人間界で善事を尽くしても「己のため」という気持ちがあれば捉われとなる。良いことをしたという意識も捉われである。
仏教とは真の悟りに導く教えのことである。釈尊存命時、仏教の立場からは仏教以外の教えを外道と言った。ただし、 現在の 新興宗教や仏教宗派といえど、仏菩薩の境地(真の覚りの世界)に導く修行体系と指導法を持っていないものは外道と同等である。人々を真の悟りの境地に導けてこそ真の仏教と言えるからである。
下道(げどう)
下道とは人間以下の世界を言う。 外形上人間であっても、人として大切な優しさや哀れみの心を持たず、「己のみ良ければを良し」とする心の持ち主は下道に生きる者である。人を搾取するもの、軍備で他国を侵略したり蹂躙する動きなどは下道の動きである。
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