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両足麻痺で緊急入院
もう十年以上も昔のことです。両足指先の感覚が無くなったと思ったら、わずか一週間で臍から下の感覚が完全に無くなってしまいました。 操り人形の足を動かす糸が切れたのと同じで、両足がぶらぶら状態になって急遽入院しました。入院後3ヶ月を費やし、胸椎が2箇所圧迫骨折で潰れたこと、その原因が悪性リンパ腫で骨がもろくなったためと診断されました。化学療法(CHOP)を受け、年末には無事退院出来ましたが、一度中枢神経を圧迫し傷をつけたので、両足の痺れはひどく、杖をつき危なっかしい足取りで数十メートルを歩くのがやっとの状態でした。
遅れたリハビリ開始
退院後しばらく家で療養していましたが、入院中7ヶ月間寝たきりの状態であったこと、CHOP療法で身体が弱っていたこともあり、家で寝ていることが多く、歩くためのリハビリを始めるのが遅れてしまいました。
退院後半年くらいしてから、近所の整形外科にリハビリに通うようになりましたが、両足の痺れはひどく、なかなか歩けるようになりませんでした。
大病後のリハビリであるため、リハビリ部門のリーダーの先生が担当してくださいました。リハビリでは、固まった筋肉を揉みほぐした後、病院内を少し歩行したり、自転車漕ぎを20分ほどして終わっていました。
リハビリで気付いたこと
そのようなリハビリを半年ほど続け、マッサージで硬直した筋肉をほぐしてもらうと筋肉が柔らかくなり、かえって歩きにくくなることがわかってきました。そして、痺れも治らないことがわかってきました。
結局、歩けるようになるためには、苦しくても自分で歩行訓練をするしかないということです。それでしばらくしてリハビリで通院することは止めることにしました。
もう一つの問題は、リハビリの先生から「この状態ならば、申請すれば身体障害者に認定されるだろう」という話がありましたが、認定を受けるかどうかという問題がありました。
身体障害者認定を受けるか否か
リハビリの先生から、申請すれば身体障害者に認定されるだろうと話がありましたが、次のような視点から申請をしないことに結論しました。
①時間をかけても絶対に歩けるようになるんだという気持ちを持ち続けるためには申請しないほうが良い(自分の性格から、申請すれば苦しいリハビリをしなくなる恐れが大である)と思われること
②身体障害者と認定されると周囲に求める気持ちが強くなるのではないかと思えたこと(私の性格的な点からの結論であって、他の人のことではありません)
自力での歩行訓練とその結果
悪性リンパ腫で胸椎が潰れた原因を自分の生活態度の中に探してみると、発症する10年前からその原因らしきことがあり、発症1年前には兆候が現れていたことに気がつきました。そして、10年かけて病気になったのなら、治るのにも10年はかかるだろうという思いが心に浮かびました。直感であり非論理的ではありますが、その思いには確信を持ちました。それで慌てず少しずつ歩行できるように取り組むことにしたわけです。
恐怖心との闘いとその克服
悪性リンパ腫の初発治療で退院してから5年が過ぎ、2度の再発治療を終えた後も、足の痺れは消えることなく、気温や湿度の変化で痺れが強まると、一週間で下半身の感覚が無くなったときの記憶がよみがえり、恐怖心を克服することがなかなか出来ませんでした。
そんな私を励まそうと妻の会社の上司が、御園座の舞台の券と、有名な料亭で芸者遊びをしながら隅田川の花火を見物する券を妻に下さるということがありました。御園座の舞台は梅沢富美男の劇団のもので、一座の長の梅沢富美男の兄が自らの苦労話をして、見学者を励ましているのが印象的でした。立派な役者だなと思いはし、券を下さった妻の上司には感謝するものの、舞台を見ただけで簡単に恐怖が無くなるわけではありません。
隅田川の花火と隅田川芸者の聖子さん
隅田川の花火見物は、隅田川河畔近くの料亭で隅田川芸者の踊りを見たり、芸者遊びをしたりしながら会席料理を食べ、その後、料亭の屋上から隅田川の花火を見るというものでした。大勢の見学者の中に、部下数人と参加していた会社の社長らしき人がいて、売れっ子の聖子さんという芸者さんに自分たちの方に来るように声をかけたのですが、聖子さんは毅然として聞き流してそれに応ぜず、足が悪くて元気のない私の前に来て話しかけてくれました。そして舞台に上がって芸者遊びをするよう勧めてくれました。聖子さんという芸者さんはそれまで知らなかったのですが、芯のしっかりした心優しい芸者さんであり、立派な一流の方なんだなと感じたものです。
大雨で花火は打ち上げ後すぐに中止
芸者遊びをしながらの食事が終わり、花火見物ということでその料亭のビルの屋上へ移動することになり、大勢が移動し終えて花火が数発上がったかなと思ったら急に冷たい風が吹きおろしてきました。すぐに雨になると思い、ビルの屋上から降りようとしたところ雨が降り始めました。花火が中止になるのは予測できたので、料亭を出て歩き始めましたが、すぐに大雨になってしまいました。タクシーを拾おうと歩き続けましたが、タクシーがあまり走っていない上に、拾おうとする人が多いため、なかなかタクシーを拾うことが出来ず、1時間位歩いた後やっとタクシーを拾うことが出来ました。
それまで、連続で20分くらいまでしか歩いたことはありませんでしたが、止むに止まれぬ状況で退院後初めて1時間連続して歩くことになりました。
(補足)
私を元気づけようとする妻に連れられて花火見物に来たわけですが、大雨の中、傘をさしてタクシーを拾うため歩き続けるときは、非力の妻の手を引いて歩き続けていました。病気をする以前の、非力の妻を支えなければという自分がそこにありました。大雨の夜、地理に不案内な東京で、どちらへ歩けばよいかわからない不安な状況では、妻に頼っては妻の精神的負担が大きすぎると思ったのか、自然にそのように動いていました。
意識が健康に及ぼす影響
歩けないと思っていても1時間のあいだずっと雨の中を歩き続けられたことから、自分の意識が自分の能力の限界を勝手に作ってしまっているのではないかと思いました。
この数年後、尊敬する年配の女性が「意識が健康に及ぼす影響」について、自らの体験を交えながら話してくださいました。その後、少しずつ足の痺れに対するとらわれが無くなり、痺れはあるものの、痺れを忘れて歩くことが出来るように変化していきました。今でも痺れはあるものの、人混みでなければ杖をつかずに歩けるまでになりました。
結果としてみれば、身障者認定を受けず、そして焦らず歩く努力をして来たことは、私の場合に限って言えば、正しい判断であったであろうと思っています。
また、多くの人の支えがあったればこそここまで来られたのであり、支えて下さった多くの方々に感謝するとともに、利他の精神が人を助け社会を明るくする原動力でありますので、残された人生を自らもそのように動いて行こうと思っています。
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