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「三綱五常(さんこうごじょう)」とはどのような思想か

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三綱五常の意味

 「三綱五常(さんこうごじょう)」とは儒教の言葉で、人として守るべき道徳と、常に行うべき道義のことであり、三綱と五常に分けられる。また、三綱五常の思想を基にした武士道は日本社会に広く行き渡り、戦前までの日本人の道徳観の基となっている。

三綱の意味

 「三綱」は主君と臣下、父親と子、夫と妻の関係における三つの鋼のことをいう。鋼とは大本(おおもと)の意味であり、臣、子、妻がそれぞれ「綱」である君、父、夫に従うものと解され ている。この解釈が正しければ、三綱は男女平等時代の今日の社会には馴染まない思想ということになる。

五常の意味

「五常」は仁、義、礼、智、信をいい、人として行うべき五つの道義であり、行動原理のことである。それぞれの現代的意味を以下に示す。

仁(じん)

 仁とは慈愛であり、他を思いやる優しさ(利他精神)を身に付け、行動する。

義(ぎ)

 義とは正義であり、自ら悪いことをしたりしないことは勿論のこと、周囲の不正や悪を勇気を持って正して行く。

礼(れい)

 礼とは礼節であり、相手を尊重して行動すること。即ち、約束を破らない、不作法な振る舞いはしない、他や周囲に迷惑をかけない、公共道徳を守る。

智(ち)

 智とは知識であり、正しい知識を身に付け、正しい判断力を養い、物事に正しく対処できる力を身に付け、正しく行動する。

信(しん)

 誠実な心で物事や人に接して行く。他から信頼される人間になるべく努めて行く。

三綱五常の問題点

 上で見たように「三綱」が 臣、子、妻がそれぞれ「綱」である君、父、夫に従うものとしているならば、三綱は男女平等時代の今日の社会には馴染まない思想である。
 また、五常が三綱を実現する道義であるとするならば、五常も 今日の社会には馴染まないということになる。

 以上のことから、次の点を明確にする必要がある。

①上記した「三綱」の解釈は何によるのか。また「三綱」ということばが最初に使われたはいつで、それはどのような意味で使われたのか。

②「三綱」と「五常」は最初から「三綱五常」という言葉として使われていたか否か。異なる場合、それぞれの成立時期はいつでどのような意味であったのか。

これらの問題については関西大学の吾妻 重二 氏の 朱子学再考 : 「三綱五常」に詳しく書かれているので、次にその要点を記載することとする。

朱子学再考 : 「三綱五常」 の記述から

三綱が鋼への絶定従属を強いるという解釈

 「三綱五常」に関する上記の解釈(三綱が鋼への絶定従属を強いるという解釈)は『中国哲学大辞典』(張岱年主編、上海辞書出版社、二〇一〇年) の説明あたりが代表的見解と思われる。そこには、「三綱五常」は「綱常」とも称し、中国封建社会の基本道徳であり道徳規範であるとの記述がある。そして 「君が臣の綱であり、父が子の綱であり、夫が妻の綱である」という「三綱」は「臣、子、妻が君、父、 夫に絶対的に服従しなければならない」ことを求めるとあり、「五常」はこうした「三綱」 の実行を保障する徳目だという記述がある。
 このような解釈の原型は 一九一五年一月の陳 独秀の『青年雑誌』の次のような見方にある。陳独秀の「三綱」の説によれば「君が臣の綱となる結果、民は君の「附屬品」となり、臣の「独立 自主の人格」は失われてしまう」といい、「父と子、夫と妻の関係についてもまったく同様であり、臣、子、妻に独立自主の人格は見られなくなってしまう」としている。
 これから鋼が絶対的服従を強いるという考えは比較的新しいものであることがわかる。

三綱という言葉の出現時期

 「三綱」という言葉の最早期の用例は前漢中期の董仲舒(注)に ある。 そこでは天地、陰陽、春夏と同様に、君臣、夫婦、父子が相互依存の関係にあるとし、それを「三 綱」と呼んでいる。 ここで「三綱」の意味についてはまだはっきりとした説明を与えられていない。注意すべきは「三綱」の語は『論語』 や『孟子』、『荀子』あるいは五経など先秦の儒家文献には登場せず、漢代まで遅れるということである。

(注)董 仲舒(とう ちゅうじょ、紀元前176年? – 紀元前104年?)は、前漢の儒学者・『春秋』学者。広川国の人。儒家の思想を国家教学とすることを献策した人物。 (Wikipedia)

三綱のもともとの意味

  『尚書』(注)盤庚篇上によれば、 三綱の「綱」はもともと網目がばらばらにならないよう一つにまとめるもともとづな を意味した。それは為政者や上位に立つ者の責任を象徴するものであり、それを体現していた一人 が周の文王であった。
 君のみならず、父や夫が子、婦の「綱」となって「上下を張理し、人道を整 斉する」ことが説かれているわけである。留意しておきたいのは、ここに下位の者が上位の者に「絶対 服従する」という思想は見出せないことであって、強調されているのはむしろ上位者の「綱」としての 責務である。
 これをいくらか敷衍していえば、三綱とは「君は臣を支える支柱であり、父は子を支える 支柱であり、夫は妻を支える支柱である。よって君・父・子はみずからの立場にふさわしく行動するこ とではじめて臣・子・妻もこれらにつき従い、上下の秩序を保つことができる」という思想である。

(注)尚書とは書経のことである。書経は、先秦時代には単に「書」と呼ばれるか、その内容の時代の名を冠して「夏書」「商書」「周書」と呼ばれるが、漢代に入って『尚書』の名が生じ、広く用いられるようになった。 尚書 は秦の穆公の記載があるため、全体が一書として成立したのは、早くても秦の穆公が在位を開始した紀元前659年以降である。 (Wikipedia)

三綱と五常は別個に成立

 「三綱五常」の教えは先秦文献には見えず、「三綱」と「五常」の概念がそれぞれ別個に唱えら れていた。現存文献による限り後漢の馬融に至って「三綱五常」の語が成立した。朱熹(注)が その思想を継承していたことなどが確認される。 
 「三綱五常」の語がはっきり登場するのは後漢の馬融(注)においてである。

(注)
馬 融(ば ゆう、79年 – 166年)は、中国後漢中期の学者・政治家。右扶風茂陵県(現在の陝西省咸陽市興平市の北東)の人。後漢の伏波将軍馬援の従孫。祖父は馬余。父は馬厳。兄に馬続。叔父に馬敦。娘の馬倫は袁隗の妻。従妹は趙岐の妻。族子に馬日磾。『後漢書』に伝がある。 (Wikipedia)

朱 熹(しゅ き、1130年 – 1200年)は、中国南宋の儒学者。諡は文公。朱子と尊称される。本籍地は歙州(後の徽州)婺源県(現在の江西省上饒市婺源県)。南剣州尤渓県(現在の福建省三明市尤渓県)に生まれ、建陽(現在の福建省南平市建陽区)の考亭にて没した。儒教の精神・本質を明らかにして体系化を図った儒教の中興者であり、「新儒教」の朱子学の創始者である。 (Wikipedia)

五常の意味

 「五常」とは、仁義礼智信の五つをいう。この概念はもともと孟子(注)の四端説に由来する。『孟子』公孫丑篇上に、 惻隱之心、仁之端也。羞惡之心、義之端也。辭讓之心、禮之端也。是非之心、智之端也。人之有是 四端也、猶其有四體也。 とあるのがそれである。惻隠の心、羞惡の心、辞譲の心、是非の心がそれぞれ仁・義・礼・智の徳の端 緒となるというもので、この端緒は人間には誰しも備わっているという、いわゆる性善説を主張した。
 ただし、ここでは仁義礼智の四つしか述べられておらず、これに信を加えて五常となるのは、現存の 文献では前漢の董仲舒の場合が最も早いらしい。『漢書』董仲舒伝に、 夫仁誼禮知信五常之道、王者所當脩飭也。 とあるのがそれで、「仁誼礼智信」が五常であるという。「誼」は「義」と同義である。「常」とは恒であ り典常、すなわち一定不変の原則を意味する

(注)孟子(もうし、紀元前372年? – 紀元前289年?)は、中国戦国時代の儒学者、思想家。孔子の孫である子思の門人に学業を受けたとされ、儒教(特に朱子学)では孔子に次いで重要な人物とされる。そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれる。 (Wikipedia)

朱子学再考のポイント

三綱五常はそれぞれ別個に成立している。

 三綱の概念「綱」は 『尚書』(注)盤庚篇上に見られ、 もともと網目がばらばらにならないよう一つにまとめるもともとづな を意味し、三綱とは「君は臣を支える支柱であり、父は子を支える 支柱であり、夫は妻を支える支柱であると説く。すなわち君・父・子はみずからの立場にふさわしく行動するこ とではじめて臣・子・妻もこれらにつき従い、上下の秩序を保つことができる」という思想であり、 臣・子・妻の絶対服従を説くというよりは、 上に立つ君・父・子の責務を説いている。

 五常の概念はもともと孟子(紀元前372年? – 紀元前289年?) の四端説に由来する。 ただし、ここでは仁義礼智の四つしか述べられておらず、これに信を加えて五常となるのは、前漢の董仲舒の場合が最も早いらしい。 五常は人として当然なすべきことであり、三綱と直接結びつくものではない。

結論

 「三綱」の解釈においては、言葉の成立時には「上に立つものの責務」に重きをおいているのに対し、現在では「下の者の絶対服従」と解するように解釈が変化している。したがって「三綱」の言葉を用いるにあたっては注意が必要である。

 「五常」についてはいつの時代も人としてなすべき徳目であり、「三綱」と直接結びつくものではないが、「三綱五常」という一つの言葉で用いられることが多いため、 この言葉を用いるにあたっても注意が必要である。

参考文献

吾妻 重二 氏  「朱子学再考 ( 三綱五常 )」      関西大学

Wikipedia

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