軽井沢ウイスキー15年

軽井沢蒸溜所

  長野県佐久郡御代田町に 、大黒葡萄酒工場として造られたこの工場は、1962年に三楽オーシャンの傘下となり、オーシャンウィスキーの蒸留を行っていた。

メルシャン軽井沢 ウイスキー蒸留所
軽井沢蒸留所

 ウイスキー 「軽井沢」は、軽井沢蒸溜所で作られていたウイスキーである。この軽井沢蒸留所は、製造会社の度重なる吸収合併を経、ウイスキーの製造を2000年で終了し、それ以降はそれまでに製造した原酒の熟成および販売のみを行っていた。

工場見学

 1990年頃から毎年、夏になると軽井沢に避暑に行っていたが、道中、この軽井沢蒸留所に立ち寄ることが多かった。ウイスキー製造工程の見学が出来、見学後に工場で作られた ウイスキー 「軽井沢」 の試飲が出来るのも楽しみの一つであった。それまで、本でしか見たことのないポットスチルやウイスキーを熟成させる樽の保管庫を、実際に初めて見たのはこの蒸留所であった。

蒸溜所内に置かれていた熟成樽

 また、見学後の試飲には、熟成の若いウイスキーとともに、軽井沢15年物も試飲させてくれた。美味しいとは思うものの、当時3000円前後のウイスキーを飲んでいた私にとって、軽井沢15年ウイスキーは高価で購入するには至らなかった。

美術館開館

 1995年には、同工場の敷地内に美術館が開館し、ウイスキー工場の見学や試飲だけでなく、ピカソやミロ、モネ、ルノワールなど数々の名画を鑑賞することが出来る メルシャン軽井沢美術館 になった。そして、2011年の閉館まで延べ90万人を超える来場者が鑑賞することとなった。

軽井沢ウイスキー

「軽井沢」と銘打たれたウイスキーの発売は1976年であり、この「軽井沢」は国産初の100%モルトウイスキーであった。価格は当時としては非常に高価な1万5000円であった。 これは、当時販売されていたサントリーの最高級ウイスキー「インペリアル」やニッカの最高級ウイスキー「鶴」と同じ価格であった。ただし、「インペリアル」や「鶴」はブレンデッド・ウイスキーであり、当時、シングルモルト・ウイスキーは国産ウイスキーでは「軽井沢」だけであった。

◆未開栓 メルシャン 軽井沢 貯蔵15年 100%モルトウイスキー MALT WHISKY 720ml 43% 古酒 KARUIZAWA◆
軽井沢15年

蒸溜所の閉鎖により姿を消したウイスキー

 ピーク時には年間約10万人が訪れたメルシャン軽井沢美術館だったが、収益環境が厳しいという判断が下され2011年11月に閉館され、 2016年1月~3月末に蒸留所は解体された。 現在ではウイスキー「軽井沢」は一般市場から姿を消し、ヤフオクなどを利用して購入する他はない。ヤフオクでは、700mlの通常のサイズの物が20万円から30万円の価格帯で出品されている。

三密とは?|三密は一体であってこそ効果のあるもの

令和のコロナ禍における3密

 3密(3つの密)とは、コロナ禍の日本において、新型コロナ感染を防ぐ対策として密閉、密集、密接の3つを避けることが有効であることから、避けるべき3つを名付けて命名されたもの。すなわち3蜜と言えば、令和の現在は大人から子供まで、 密閉、密集、密接 と言うでしょう。

本来の「三密」の意味は

 本来の「三密」と言う言葉は、仏教用語であり、人が祈るときの姿勢(身)、唱で唱えること(口)、心で願うこと(意)の三つを指しています。従って、三密と言えば、身口意(しんくい)を意味しているのです。

身口意の解説

身(しん)

 祈るときの姿勢、座り方と手で作る印を言います。座り方(坐法)では、結跏趺坐、半跏趺坐、正座などがあり、印には金剛合掌、虚心合掌、蓮華合掌、独鈷印などがあります。
 座法は、謙虚な姿勢で神仏に祈る気持ちであれば、どの座法でなければならないということはありませんが、印は神仏や自分の心の状態によって変化するもので、それぞれの印に意味があるとされています。

口(く)

 念誦、すなわち口で唱えることを言います。真言を唱えたり、神仏の名号を唱えたりすることが三密の 口に属します。 唱え方には、大声を出して唱える唱声法、小声で唱える蓮華法、声に出さず舌先を動かす程度で行う金剛法、声も出さず舌先も動かさず心で念ずるだけの三昧法という方法があり、 唱声法 から三昧法へと修行の進展とともに変化していくものです。
 また、仏教に限らず、神道で祝詞や祓詞をあげたり、行者が呪文をあげたりすることも三密の口に属します。

意(い)

 念仏、すなわち心で神仏を念ずることです。念仏の仏は、阿弥陀如来であったり、釈迦如来や、観自在菩薩(観世音菩薩)であったりしますが、念誦の対象の神仏を心で念ずることが意に属します。

三密一体

 三密は身口意の三つに区分されますが、全体的には一つであり、手に印を結び、口に真言を唱え、心に仏を念ずるという相が、三密一体となってあらわれなければならないとされています。すなわち、身口意の三つが一体となって初めて結果があらわれると説かれています。

四聖道|六道の上にある聖なる世界

十界と 一心十界

 十界とは、仏界を最上位とし、以下順に菩薩界、縁覚界、声聞界、天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界と続き、最下位の地獄界までから成る十の世界をいう。

 一心十界とは、人の心はこれら十の世界の何れかの状態にあり、人は死んだ後その人の心の状態によって十の世界のうち、その人の心の状態に相応しい世界に行くことになるということを表した言葉である。

六道と四悪道

 十界のうち、 天界から下の六界を六道という。また、六界の上の二界(人間界・修羅界)を除いた四界を四悪道(しあくどう)という。

 人が死んだ後様々な世界を経験することを輪廻(りんね)といい、再び人間界に生まれ変わることを転生(てんしょう)といい、あわせて輪廻転生というが、ほとんどの人間は六道を輪廻しており(六道の世界の中で生まれ変わり死に変わりをしており)、これを六道輪廻(ろくどうりんね)という。

天界の神

 六道の世界は、その最上階の天界の神でさえ、人間と取引きする(人間の分不相応な現世利益の願いに応ずる)真の悟りを開いていない神であり、その輪廻は六道世界の中にある。 従って、天界の神の位にありながら、人間と取引をして、地獄界に転落する神もあるとされている。サタンはその代表的存在である。天界の神であっても、神と言われるだけあって、力は持っておられる場合が多いので、人間が間違った願掛けなどをすると、身を滅ぼすこともあるとされている。

四聖道

 十界の上から四番目までの世界 、すなわち仏界、菩薩界、縁覚界、声聞界 を四聖道(ししょうどう)という。
 四聖道は悟りの世界(境地)を段階により区分した世界であり、天界に至った人間が更に修行を重ね、声聞、縁覚、菩薩の三つの聖道門を経て仏界に入ることになるとされている。

 四聖道のうち耳で聞いて分かる段階の神々ならば、これを声聞と言う。説明を聞いて分かる程度、これを声聞根性と言う。
 声聞の上は一生懸命修行して行くことによって悟りを開く段階。これは持って生まれた素質であり、これを縁覚と言う。

真に神と言えるのは、菩薩界以上の神

 声聞、縁覚の段階を越して行って初めて菩薩界に入って行く。だから天界の神の世界にいる者ですら一生懸命修行しなければ菩薩界まで行かれない。菩薩界まで行くのにも未だ二段階ある。
 声聞・縁覚を越えて、本当の菩薩の修行をして初めて、本当の神の世界(菩薩界以上の神の世界)に行くことになる。

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四転倒|心の障りから生ずる倒錯的主観

転倒( 顛倒 )とは

 般若心経の中に、「遠離顛倒夢想」という箇所がある。日本語の語順に書き換えれば、「顛倒夢想を遠離して」となり、「 内心の倒錯的主観 を遠く離れて」という意味である。すなわち、 転倒( 顛倒 )とは、 ものを逆様に見ることであり、内心の倒錯的主観をいう。

四転倒(してんとう)

 転倒は 内心の倒錯的主観である心の障りから生ずる。その代表的な以下の四つを四転倒という。

  • この世を常也とする見方

 この世を常と見る見方。永遠に形を変えず 存在するものはこの世に存在しない(色即是空)。しかるに常なりと見る心は転倒心である。
 

  • この世を楽也とする見方

 この世を楽なものと考える見方。この世に終始楽であるといい得るものはなく、楽であると思うことも実は苦の原因以外何ものでもない場合がある。 あれば良いと思うお金や立場も、手に入れた途端他に奪われやしないかという不安が生ずるものである。従って、この世に終始楽といい得るものが存在するという見方は偏見であって正しい見方ではない。

  • この世を我也とする見方

 この世の何処を眺めても自己主観の中心となるべきものはない。何か、己我の主体なる 「我」という ものがあって、それが自己を自己たらしめており、しかも、それが常に自在なるものと考える。「我」という実態があるものでなく、あるものは、大自然の一部として我が存在するのが実相であるのであり、己我的我は正しい見方ではない。

  • この世を浄也とする見方

 この世を浄なりと見る見方。実際、この世は実に不浄なものである。為すこと、見るもの、聞くもの悉く穢いものばかりである。個々人の自己中心的な動きや策略、自国の利益ため他国や多民族等を犠牲にする動きなど、醜く穢いものが多く存在する。 したがってこの世を浄なりと見る見方は正しい見方ではない。

諸法空相

 諸法とは宇宙の森羅万象(目に見えるもの見えないもの全て)をいう。すなわち、森羅万象はすべてその実態は空であり、常なる形を持たないのが実相である

 しかるに、世間は暫時の存在に過ぎないものを常なりと思い、苦を楽と思い、有りもせぬ我を有ると思い、穢いものを浄らかだと思い込むことは逆様な見方であってこれを四つの転倒というのである。

 諸法の実相を知らぬため恐怖する処となり、また真価値を知らぬため四転倒の見方があるのは、空を空と知ることができない心の障りがあるからである。

五怖畏|外部から来るものに対する恐怖

五怖畏(ごふい)とは

  外部から来るすべてのものに対する念を「恐怖」というが、この外部から来る「恐怖」を、更に五つに分けることが出来る。即ち、不安による恐怖をいうのであって、これを五怖畏という。

  • 不活畏(ふかつい

 生活に対する不安感から来る恐怖。自分が食えぬようになっては困るといった考えから、十分な布施や善行も出来ない。将来の生活に対する自信不足のため、いつも不安を感じ恐怖心を起こすことになる。

  • 悪名畏(あくみょうい)

 周囲に気兼ねして悪くいわれはせぬか、不評判になっては困る、といった気持ちから他を導くにも自信が持てず、自分が正しいと思うことも言えず、前向きに十分な活動もできない。自分の行動に自信のないところから来る恐怖。

  • 死畏(しい)

 死に対する不安から来る恐怖。病になりはしないか、病で倒れはしないか、今死んでは困るといった気持ちか、ら気宇を大きく持つことが出来ず、身命を賭して、正しい道を歩むことが出来ない。この生に対する執着から来る恐怖。

  • 悪道畏(あくどうい)

 悪道に落ちる不安から来る恐怖。君子危うきに近寄らず、といった消極さからくる自信のない不安、即ち悪道に近寄ることによって自分が悪道に落ちるようなことはないだろうかといった不安から躊躇し、消極的な動きや無難な道を選ぼうとする。
 病人を救うためには病人に近づかなければならないし、悪道に落ちた人を導き且つ救い出すには、悪道に立ち入らねばならない。しかるに自分が病に冒されはしまいか、地獄に陥りはしまいか、といった考えを起こす。これも自信のない不安から来る恐怖である。

  • 衆威徳畏(しゅういとくい)

 自分自身に十分の自信を持つことが出来なくて大勢の前に出るとあがってしまって、どぎまぎしたり、偉い人の前に出るとろくに口もきけない、といった対人恐怖。

五怖畏からの開放

 五怖畏は、すべて、こだわる処から生ずる。
 このこだわりをなくすには、身・命・財に対する執着を捨てることである。

障り|人の向上を妨げるもの

障り(さわり)とは

 「障り」とは、人が 修行して悟りの世界に行くこと(努力して向上しようとすること)を妨げるものである。 障り には、外部から来るすべてのものに対する念によるものと、自己の内部から生じる 処の一切の夢想による動き等によるものがある。

 すなわち、外部から来るすべてのものに対する念を「恐怖」といい、この恐怖によって生ずる「さまたげ」を「障り」という。
 また、内部より生ずる処の一切の夢想の動きを「転倒」といい、この転倒によって生ずる「さまたげ」も「障り」という。

よって、障りは外部より来る場合と内部より生ずる場合との両面がある。

五怖畏

 外部から来る「恐怖」は、更に五つに分けることが出来る。不安によって生じる恐怖であり、これを「五怖畏(ごふい)」という。

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四転倒

 また、 内部より生ずる処の一切の夢想を転倒というのであるが、転倒とは物を逆様に見ることであって、逆様に見るのも種々あるが、最も顕著なものを四つに分けてこれを「四転倒(してんとう)」という。

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余市シングルカスク20年

余市シングルカスク20年との出会い

 余市シングルカスク20年に出会ったのは、平成26年12月末から平成27年の1月初旬にかけて、にっぽん丸でグアム・サイパンへ旅行したときのことである。

余市シングルカスク20年

 にっぽん丸に初めて乗船したこのとき、船内のスタンドバーで、サントリー白州の20年物と並べて陳列してあった。余市も白州のいずれも、にっぽん丸乗船記念用の特別のラベルが貼られていた。白州の20年物はそれまでに飲んだことがなく、最初からお土産として購入するつもりであったが、余市の20年物は飲んだことがあり、家に1本残っていたので購入しようとは思っていなかった。

にっぽん丸のバーで

 乗船後3日目の夕食後、売店に行く妻とスタンドバーで待ち合わせることにして、一人で先にスタンドバーに行った。小さなスタンドバーで椅子は5脚くらいであったが、椅子に腰掛けて、置いてあるウイスキーを眺めてみると、サントリー白州20年の他、ニッカ余市20年、ニッカ竹鶴21年等、錚々たるウイスキーが並んでいた。余市20年、竹鶴21年は飲んだことがあるので、今まで飲んだことのない白州20年をストレートで注文した。出されたウイスキーを口にして腰を抜かさんばかりに驚いた。それまでに飲んだウイスキーとは別格の味と香りがするのである。ロイヤルサルート21年、バランタイン30年、ニッカ鶴、オーシャン軽井沢12年など高級ウイスキーに位置づけられる多くのウイスキーを飲んだことがあるが、それらとは全く次元が違うのである。白州の20年物はこれほど美味しいのか思って飲んでいた。

竹鶴21年

 そこへ買い物を済ませた妻がやってきて、余市の20年物もあるじゃない、と言うので、余市シングルモルト20年は購入したものがまだ家にあるから白州を飲んでいるんだと説明をし、妻に白州20年のグラスを渡したところ、妻も一口飲んでその香りと味の素晴らしさに目を輝かせていた。

バーテンダーの勧めで注文

 妻と私の会話を聞いていたバーテンダーが、スタンドバーに置いてあった余市はシングルカスクの20年物で、市中で販売されている余市シングルモルト20年物とは、香り味ともにかなりの開きがあるということを話してくれた。

 また、白州もシングルカスクの20年物であり、市中で購入するのは困難で、白州シングルモルト20年とは別格のものであるということを説明してくれた。

かって経験したことのない華やかな香りと味

 目の前にあるのがシングルモルトではない余市シングルカスク20年であると聞き、早速、余市シングルカスク20年をストレートで注文した。出されたグラスを先に口にした妻が、白州より更に美味しいと言う。確かに、白州シングルカスク20年と同様、それまで味わったことのない華やかな香りと風味を持っているが、余市の方がさらに白州よりも味に濃さや深みを感ずるのである。
 これは、蒸溜所の置かれた場所が、一方は海に近い余市であり、他方は草原の中にある白州であるという環境の違いが与えるウイスキーの性格かもしれず、どちらが好むかは人によって異なるかもしれない。

 ただ、余市、白州何れのシングルカスクも、それまでに口にしたウイスキーは勿論、レミーマルタン・ルイ13世、マーテル・コルドンブルー、ジャン・フィユーのファミリエレゼルブやエキストラ、ヘネシーXOなどのブランデーよりも香りと味の華やかさにおいて勝っているのである。

余市シングルカスク20年の裏ラベル
1990年樽詰めされたこと、樽番号が記載せれている

シングルカスク・ウイスキー

 それからバーテンダーとウイスキー談義をしたが、シングルカスクは水でアルコール度数を調整したりしないので、アルコール度数も高くより香りが華やかになるということ、シングルカスクは市場に出回ることが稀なので、乗客の中にはケース買いして行き、インターネットで高値で売る人もいるということを話してくれた。

 下船してからインターネットで調べたところ、市場で購入できる白州20年や余市20年のシングルモルトが2万円から3万円程度で購入できた当時、白州シングルカスク20年や余市シングルカスク20年は15万円から20万円で売りに出されていた。

シングルモルトとシングルカスクの違い

 一つの蒸溜所のモルトから作られるシングルモルト・ウイスキーは、樽で熟成させるとき、樽の置かれている場所の違い(地面からの高さの違いや貯蔵庫の中央か隅の方なのかによる空気の流れや温度の違い等)により、同じ熟成年数であっても樽ごとに味や香りが異なるものが出来る。

 樽の位置を変えたりして調整はするが、同じ熟成年数の樽であっても、樽によって異なる味や香りのものが出来上がる。これを熟練したブレンダーが、いくつかの樽のモルトをブレンドし、 加水してアルコール濃度などを同一にし、同一貯蔵年数 (20年ものなら20年物として)の シングルモルト・ウイスキーを作り上げる。

 しかし、特に出来の良い樽のモルトの一部は、他の樽のモルトとブレンドされることなく、世界的な品評会に出品されたり、特別な顧客に樽売りされたりする。これがシングルカスク・ウイスキーである。 世界の品評会のシングルモルト・ウイスキー部門で ニッカやサントリーが受賞したウイスキーの多くはシングルカスク・ウイスキーである。

(注)カスクとは樽のことをいい、バレルともいう。

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白州シングルカスク20年

白州シングルカスクとの出会い

 サントリー白州シングルカスク20年(1990年-2010年樽熟成)に出会ったのは、平成26年(2014年)12月末から平成27年(2015年)の1月初旬にかけて、にっぽん丸でグアム・サイパンへ旅行したときのことである。

 学生時代からウイスキーが好きであった私にとって、売店でどのようなウイスキーを販売しているか確認したり、スタンドバーで珍しいウイスキーに出会うことは旅の大きな楽しみの一つである。

 にっぽん丸に乗船したのはこのときが初めてであったが、乗船してから売店を覗いたところ、今まで飲んだことのないサントリー白州の20年物が陳列してあった。ラベルはにっぽん丸乗船記念用の特別のラベルが貼られていた。白州の20年物は未だ飲んだことがなく、下船前に購入することにした。売店にはニッカの余市20年物も並べて陳列してあったが、余市20年物は近所の酒屋で購入したものが家に1本残っていたし、すでに飲んだこともあったので、購入しないつもりでいた。

白州20年(1990年から2010年樽貯蔵)

娯楽施設が充実した客船内

 クルーズの旅は、船上で毎日多くの催し物があるばかりでなく、船内には催し物を行う大ホールや小ホール、シアター、図書館、カジノ、売店の他、乗船客に朝食と夕食を無料で提供するメインレストランの他に予約が必要な有料レストラン、寿司バー等がある。お酒は有料でストラン内でいつでも注文できるが、それ以外に多くの洋酒などを揃えたスタンドバーなどがある。

 クルーズ船の船内は利用したり見たりするところが沢山あるので、初めて乗船する船の場合、船内のどこに何があるかの全体を知るのは、乗船後2から3日め頃となる。

船内にスタンドバー発見

 乗船して3か目頃であったと思うが、夕食に寿司が食べたくなり、寿司バーへ向かって船内を歩いていると、寿司バーの手前にスタンドバーがあるのを見つけた。ウイスキー党の私にとって嬉しいことには、高級な、それも私が飲んだことのないウイスキーが並べてあるではないか。
 寿司のあとで洋酒はどちらかというと合わないので、翌日夕食後行こうと決心した。

素晴らしいウイスキーにびっくり

 翌日、夕食後、妻は後から来るということで、一人で先にスタンドバーに行った。小さなスタンドバーには椅子は5脚あったと記憶している。椅子に座ってから、置いてあるウイスキーを確認すると、サントリー白州20年、ニッカ余市20年、ニッカ竹鶴21年等、錚々たるウイスキーが並んでいた。ニッカ余市20年、ニッカ竹鶴21年は飲んだことがあるので、今まで飲んだことなない白州20年をストレートで注文した。出されたウイスキーを口にして腰を抜かさんばかりに驚いた。それまでに、ロイヤルサルート21年、バランタイン30年、ニッカ鶴、オーシャン軽井沢など、高級な美味しいウイスキーを飲んだことがあるが、それらとは全く次元の違う香りと美味しさである。さらに言えば、レミーマルタン・ルイ13世、マーテル・コルドンブルー、ジャン・フィユーのファミリエレゼルブやエキストラ、ヘネシーXOなど、それまで口にしたどのブランデーよりも華やかな香りと味がしたことである。

にっぽん丸特注のシングルカスク

 バーテンダーとウイスキーの話になったが、その時にっぽん丸で提供していた白州20年は、通常市場に出回わっているシングルモルトとは異なり、にっぽん丸が乗客に船上で販売するためにサントリーから樽ごと買い上げて瓶詰めしたシングルカスクであるということ、多くの樽の原酒(同一種類、同一熟成年数の原酒)を混ぜ合わせて平均的な味わいとして販売されるシングルモルトと、出来のいい樽の原酒をそのまま瓶詰めしたシングルカスクでは、同じ貯蔵年数のものであっても、味も香りも大きな開きがあるということであった。

白州シングルカスク(2010年ボトリング)

バーテンダーと楽しいウイスキー談義

 このときバーテンダーと話すことにより、シングルカスクは水でアルコール度数を調整したりしないので、アルコール度数も高くより香りが華やかになるということを聞きなるほどと思った次第である。また、シングルモルトウイスキー部門において世界のウイスキー品評会で受賞しているのは、サントリーにしてもニッカにしてもそのほとんどがシングルカスクであることに合点がいった。

 バーテンダーからは、シングルカスクは希少なのでインターネットで高値で取引されており、乗客の中には何本も購入して行く人が多いのでといって、購入を勧められた。下船してからインターネットで調べたところ、白州シングルモルト20年が3万円程度で購入できた当時、白州シングルカスク20年は15万円から20万円で売りに出されていた。

シングルモルトとシングルカスク

 一つの蒸溜所のモルトから作られるシングルモルト・ウイスキーにおいても、貯蔵庫で貯蔵するとき、樽の置かれている場所の違い(地面からの高さの違いや貯蔵庫の中央か隅の方なのかによる空気の流れや温度の違い等)により、同じ貯蔵年数であっても樽ごとに味や香りが異なるものが出来る。

 樽の位置を変えたりして調整はするが、樽によって異なる味や香りのものが出来上がる。これを熟練したブレンダーが、いくつかの樽のモルトを選んでブレンドし、 加水してアルコール濃度などを同一にし、同一貯蔵年数 (20年ものなら20年物として)の シングルモルト・ウイスキーを作り上げる。

 しかし、特に出来の良い樽のモルトの一部は、他の樽のモルトとブレンドされることなく、世界的な品評会に出品されたり、特別な顧客に樽売りされたりする。 世界の品評会のシングルモルト・ウイスキー部門で ニッカやサントリーが受賞したウイスキーの多くはシングルカスク・ウイスキーである。

(注)カスクとは樽のことをいい、バレルともいう。

希少なウイスキーを味わうことができた最後の機会

 にっぽん丸のバーでは、他にニッカの竹鶴21年物もストレートで飲んでみた。こちらはニッカが余市蒸溜所のモルトと宮城峡モルトをブレンドしてピュアモルトとして販売しているウイスキーである。もちろんシングルカスクではないが、世界の品評会で何度も受賞しているウイスキーだけあって、とても美味しく飲みやすいウイスキーであった。しかし、シングルカスクの持っている香りと味の華やかさは感じられなかった。

 この数年後にっぽん丸に乗船し、スタンドバーに足を運んでみたが、すでに高級ウイスキーは姿を消していた。サントリーとニッカのシングルカスクはもちろん、竹鶴21も見ることは出来なかった。朝ドラ「マッサンとエリー」の放映後、徐々にウイスキー愛飲者が増え、モルト自体が不足し、サントリーもニッカも貯蔵年数表示の高級ウイスキーの販売を中止した結果であった。前回、余分に購入しておけばと思ってみたが、希少なウイスキーに出会え、それを味わうことが出来たことは幸いであったと思っている。

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